【 "Super Hero" Dan 】

そこに住まう者達が【ガイア】と呼ぶ星の――広大な海に点在する陸地の片隅。それが今回の舞台。
寒冷地と思しき荒地と野原の合わさった殺風景な場所で人間が一対多で対峙している。
一人で団体を前にしているのは齢30をギリギリ迎えていない男。体格の良い、大きな男だ。
濁った色の金髪と無精ヒゲ。太い眉毛の下に強い意志を感じさせる目が付いている。
豪気で勝ち気な印象がある精悍な顔つきをしている。
黒い皮のジャケットはよく使い込んでいて少々ボロい。長ズボンは真新しい。新調し立てと思われる。
対するは鎧を着ているクセにあちこち肌を露出しているため薄着しているように感じる年若い娘たちだ。
22名全員が女。格好以外は統一感が無く雑多な印象を受ける。
彼(彼女)らの間には緊迫した雰囲気が漂っている。一触即発ともいってよい危機感が其処にはあった。

この話の主人公はこの場にただ一人いる男、ダン=イエーガー。
身体的にも精神的にも屈強な戦士であり…後に"勇者"と各地で呼称される者である……。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………

――俺の前に…今、20人近い女戦闘員たちがそれぞれの武器を手に身構えている。
水着(レオタードに近い)と鎧(3つに分かれた甲冑で手足と胸部を覆う)を合わせたような妙な格好がこいつらの特徴だ。
色は緑や赤、桃色、ムラサキキャベツみたいな色、黒板の色など様々。
あとは武器の収容のためのポケットの有無が目立つ。その形状も獲物によって違うようだ。
統一しているのは着衣の規格(鎧と服)と女性には不釣合いなゴツゴツの軍靴だけで他は下っ端と言えど自由の様だ。
だが、肩と太もも周りは全員肌を露出させているのもこいつらの大きな特徴。
年中寒いと聞く、隣国コーキュトスの国境近くなのに寒くないのだろうか。
そう思いつつ、乾いた上唇を舌で軽く舐めて濡らす。
久々に見つけた『戦闘部隊』だ。この好機を逃さず、まとめて倒す。
グッと拳を握り構えをとる。奴等のうち数人が反応して身を強張らせた。

剣や斧などで武装した戦闘員の奴らと違いこちらは徒手空拳。自前のコブシで勝負する!
そうやって、今までも何度もトロメア帝国の手先どもを討ち倒してきた。
奴等を地獄の底に叩き落す事―――それが俺の使命だ!

構えたまま動く気配の無い戦闘員の連中。
ならば先手を打たせてもらおう…と思った矢先、
「現れたわねダン!忌忌しい豚め!」
少女たちの中央に出て偉そうに踏ん反り返る眼鏡の女が吠えた。
豊満な胸の前で帝国軍特有の手から腕まで伸びるガントレットに包まれた腕を組む。
端がツンツンした金色おかっぱの髪。縁無し眼鏡の奥で釣り上がった眼がこちらを睨んでいる。
「よぉ。あんたがこの娘たちのボスかい?」
そう言って、まるで親しい相手に挨拶するかのように手を上げてヒラヒラさせる。
一部の戦闘員が再び反応して脱力し、構えが緩む。
そこまで間抜けな声になっていたかな。
「…っ!ふざけた奴ね。噂の連続襲撃犯にしては変な奴としか思えない」
「隊長。我々に単身、しかも素手で挑む時点で気が確かとは思えませんが」
「それは浅はかよ。伏兵がいるのかも知れないし、武器を隠し持ってるかも」
「えぇ?そんなぁ…汚い奴なの?アイツ」
隊長と呼ばれた女の周辺の戦闘員が駄弁る。
「酷い言われ様だな。残念だが俺は確かに一人だし丸腰だぜ。何ならこの場で裸になって―――」
「止めなさい。汚らわしい真似をしないで」
ピシッと場が張り詰めた。俺の言葉と、それを即座に拒絶した誰かの声で。
声を上げたのは隊長のすぐ右隣に控える深緑色の長髪の女だった。
傍の者が、皆その発言の主を凝視する。
「その通りね。…そこの下郎!レディーの前で失礼なことをしない!」
勢いよく指差して叱りつけるように叫ぶ。
なかなか怖いオネエサンのようだ。よく通る声も隊長らしい感じを受ける。
周りの戦闘員が一度にこちらを睨む。凄い威圧感だ…。あと嫌悪感が辛い。
それぞれが獲物を持ち直し戦闘態勢をとる。
「行け!皆の者!この慮外者を打ち倒せ!殺しても一向に構わん!」
古風な言い回しでそう命令し、配下を動かす隊長。
その声を待ってましたとばかりに十数名が一斉に飛び出す。
迎え撃つ形になったが、問題は無い。

何故なら…

「やああぁ!」
威勢良く幅広の剣を振る赤い短髪の尖兵を、剣が届く前に懐に飛び込んで拳を放つ。
相手が「あっ」と漏らす間も無く腹部にめり込む一発。
鎧を避けて当てた拳で相手の内部が砕ける。上で「ぐへぇっ」と息を放つ女。
そのまま脱力してダラリともたれ掛かってきたので軽く除けた。
転がる一番手を横目に淡い褐色の娘がサムライブレードが突いてくる。横っ面へのグーで応じる。
瞬間、その可憐な顔が大きくひしゃげ、首が曲がる。折れた歯が飛んで、眼をむいて昏倒した。
あっさり二人をやられて後続が恐れて怯んだ。が、すぐ様立ち直ってこちらに殺気を送る。 そして続け様に手斧、トゲのあるナックル、矛、ナイフ等が襲い掛かるが、ことごとくを手足で凌ぎ…潰す。

――何故なら、相手の力量も読めず、場の勢いだけで突貫するような輩に負ける気はしないからだ。

次々に地に倒れる戦闘員たち。気付けば接近戦を挑んできた戦闘員は全て倒してしまっていた。
ある者はすぐに動かなくなり、ある者は呻き声を上げてもがき続ける。
それぞれに必殺の一撃をくれてやった。残った者もそう間を置かずして先に逝った仲間の下へ向かうだろう。
すぐ足元でクナイを両手に持ったポニーテールの嬢ちゃんがこちらを呆然と見つめつつ激しく咳き込む。
左胸に刻まれた拳のかたちのヒビ。俺の正拳突きが鎧ごと相手の体を粉砕したようだ。見開かれた目から生気が失せる。
と、傍の別の娘に突然矢が刺さった。首筋に直撃した黒髪で黒目の戦闘員は「けほっ」と一息吐いて絶命した。
更に矢が視界内で飛び交う。
隊長の後方に控える戦闘員が矢を放ってきていた。
「おのれぇ!撃て、撃て!射殺せぇ!」
激しく興奮した様子で隊長が檄を飛ばす。
俺は地に刺さった矢の一本を相手に投げ返してやった。
胸のど真ん中に命中した戦闘員がよろめき、木製の弓を落として己に刺さった矢を見つめ、喀血して倒れる。
続け様に足元の斧を投げる。今度は相手の頭をカチ割って向こうに落ちた。
吹っ飛ぶように倒れたこの娘はそのまま動かなくなった。おそらく即死だったろう。
立て続けに二人失って残るは6人になった。
「「う…うわあぁぁぁ!!」」
仲間の無惨な最期を目の当たりにした2人が両手にダガ―を握って迫る。
パニック状態で斬り込んでくる。
出鱈目に振り回される刃を裂け、左足で振って両者の首を薙ぎ払うように打った。
潰れたような感触が二度続いた。俺の背後で「げぇ…」と下品な声が二人分聞こえた。
そして獲物を落とした、金属独特の硬質な音。
短い時間差をおいて二人が倒れ、痙攣を繰り返してすぐに死んだ。
俺は姿勢を正して正面から相手側を見据えた。

隊長含めてあと4人。
青い髪の戦闘員、深緑長髪の戦闘員、隊長、そして後ろに隠れてよく見えない戦闘員……
その内の、肝心の隊長が明らかに狼狽しているのが見てとれた。どうも彼女は戦闘向きではないようだ。
体つきも他の隊員に比べると貧相だった。
今度はこっちから迎えに行くぜ、と気を改めて挑もうとした直前、
「やるね…」
残った隊員の一人――隊長の真後ろにいた戦闘員がずいと前に進み出た。
髪も含めて鎧などの着衣が全て銀色で構成された姿。目の色もシルバーだ。挑発的な態度が小憎らしい。
「だけど快進撃もここまでだ!」
瞬間、トカゲのような疾走でこちらに迫る女。…こちらと同じく素手で来るか。
俺も負けじと真っ向から相手にぶつかって行く。
「シャッ!」
猫のような爬虫類のような声。刃のように鋭く尖らせた、文字通りの手刀が襲う。
寸前で見切った、かに思えたがジャケットが僅かに斬られた。
その様子に目を見開いた俺を見て銀色の、氷に近しい輝きを放つ瞳がニヤリと歪む。
二撃、三撃、手で裂きに来る。その動きが剣か槍に変じて見える。
それを身体を傾け軸をずらすことで避けていく。
かなり速いので下手に返しに向かうと貫かれかねない。
だから狙い通りの瞬間が来るのを待った。
「私の疲労を待とうっての?姑息ね!」
挑発的態度を崩さず攻めて来る。
首を狙った一撃が、突き出される。
「疲労?違うね。"これ"を待ってたのさ」
相手が「何ぃ?」と眉をつり上げるのと俺の脚が縦に一閃したのは同時だった。
バキャッ。
「ッ!?…ぐあぁぁぁ!」
俺のハイキックが彼女の左の凶器を粉砕した。割られた手から血が飛び散る。
左手を押さえて後ずさる銀髪にトドメの一撃を見舞う。
女は痛みにうろたえて反応が遅れた。既にダンの二撃目が眼前に迫っている。
そして――二人の目線が合った。この際になって相手の目は戦意を失っていない。
僅かに掲げた右腕は、しかし何の防御にもなり得なかった。
ダンの腕が真っ直ぐ相手の顔面を目指す。
銀髪が覆う額を、掌底で打つ。"ぱぁん"という弾けた音。
女は声も無く口を開けた。拍子で唾が散る。
強い意志の宿る銀の目が虚空を漂った後、くるりと上を向いた。
そのまま仰向けに倒れこんで強烈に頭を打ちつける。
拳を引いた時には銀色の女はもうこの世を去っていた。
だらしなく手足を広げ、上半身で漢字の「山」の字を作っている。
その姿を短く眺め…残り三人に視線を送った。

「ひ…」
情けない悲鳴と共に身をすくませる隊長。
俺が銀の戦闘員の亡骸を跨いで一歩進んだだけでその身を引いた。
「さぁ、後はお前たち三人だけだぞ。もっとも、要となる隊長殿は既に心が折れているみたいだがな」
ニッと笑ってそう挑発する。
青髪の女戦闘員が小さく怯えた。そう言えばこの少女も武装が無い。
左側にいる女は――と視線を巡らせた時だった。
「あぁあぁ…!」
突然真ん中の隊長が大きな悲鳴を上げて振り返る。
部下を突き飛ばし、自分だけ逃げようという魂胆か!
今まさに傍の深緑の戦闘員に触れんとする隊長に対して、
させるか、とばかりに追撃しようと走る前にその、戦闘員の左腕が水平に走る!
――殺気!?
寒気を感じて俺はその場で踏み止まる。
ザクリ、という気味の悪い音が耳に入った。
青い髪の戦闘員がビクリと身を瞬間的に震わせ、固まる。
一方、隊長も止まっていた。こちらに完全に背を向けている。
ツンツンおかっぱの金髪が震え出す。
腕が自身の喉に向かう。
「……あ……あ?」
「た、隊長・の、のど…喉が…あぁ……」
間の抜けた隊長と恐怖を隠し切れない青い髪の少女の、それぞれの声。
その様子を、左側にいる深緑の女は静かに眺めている。
女の両腕には、長い鉤爪。左腕のツメから血が滴り落ちている…。
隊長の足元にも血が落ちる。
そしてこちらに小刻みに震える隊長がゆっくりと振り返る。
縁の無い高価そうな眼鏡が血溜まりに落ちて右目側のレンズにヒビが入る。
一瞬足元に目が行った俺は改めて目線を上に戻した。
そこには……
「あっぅ…あぅぁ……っ」
喉から大量の血を噴いている隊長の驚愕に醜く歪んだ顔があった!
ボタボタと際限を知らないかのように滴る血が彼女の豊かな胸を濡らす。
見る見るうちに隊長の首から下は真っ赤になっていった。
「ひ、ひゃあぁぁぁ!」
青い髪の戦闘員は遂にその場で悲鳴を上げて泣き出してしまった。
両足が萎えて"×"の形になる。
「げっ……げっ………」
隊長は震える身体を押さえきれず両膝を折って地に座した姿勢になる。
血は収まらない。どう見たって致命傷だった。
開きっぱなしの口は血とヨダレでべしょべしょになっていた。鼻からも血が垂れていく。
藍色の目はもう何処を見ているのか分からない。ずっと真正面を向いているようにも見える。
「あ………げぼ……っ…………」
ついに力尽きたか、顔から生気らしいものが失せ果てた。
歪んだ表情が解けた顔は意外にも小顔の美人だった…。
血の死化粧で彩られたその顔がゆっくりと、体ごと俯く。
どさっと前に倒れ込み、うつ伏せでビクンビクンと痙攣する。血溜まりがその下でゆっくりと広がってゆく…。
流石の俺も呆気にとられた。それは目の前の青髪の戦闘員も同じの様だ。
やがて、微かに漏れていたかすれ声と痙攣が止みだし…血塗れの隊長は静かになっていった。
左腕の凶悪な武器を己の上官の筈の女の血で真っ赤に塗らした戦闘員は足元の女の末路を冷ややかに見下ろしている。

そして―――場の空気が凍りついた。

…最初に動いたのは青い髪の戦闘員だった。
「あ、貴女、何を……!?」
困惑と怯えがない交ぜになった顔で、彼女は目前の深緑色の髪の持ち主に問うた。
「コイツは無様にも戦うことなく敵前逃亡を図った。その醜態を、死をもって償ってもらったのよ」
両手に1尺以上はあろう鉤爪を付けた長髪の戦闘員はそう言ってニヤリと口元を歪めた。
最早ピクリとも動かない上司だった者の体をつま先で小突いて裏返す。
その場で転がって仰向けになった隊長は振られた反動で五体を投げ出して大の字のポーズになる。
その様子に見ていた戦闘員が「ひっ」と小さく鋭い悲鳴を発した。
血が失せて真っ青になった隊長の顔は呆気にとられた表情で固まっていた。
目をカッと見開き口は大きく開いたまま。はみ出た舌が横に垂れている。
「ふふ。クズにはお似合いの死に顔ね」
鉤爪の女は残忍な笑みを浮かべる。…俺にはその表情の方がよほどクズっぽく見えるが。
「そんな…隊長を」
「もう"隊長"じゃないわ。それどころか、この女は罪人として処分されるのよ」
と、そこで90度クルリとこちらに向き直り、半歩ほど前に出る。
「そこの勇敢な戦士殿と共に、ね」
ずっと傍観していた俺に嫌みたっぷりに言い放ってきた。綺麗な顔に似合わず怖い女だ…
半ば呆れながら俺は言い返した。
「…どうやらおたくは雑魚じゃあなかった様だな」
軽く皮肉交じりに放ったその言葉に鉤爪女は瞬間キョトンと呆けた後、微笑しながら答えた。
「勿論、そこらに転がってるのや此処の彼女のような一般兵とは段違いと見てもらっていいわ。
 アンティノーラ国の戦士族の生き残り…ダン=イエーガーさん?」
「!」
何故、俺の素性を知っている。
「意外そうね。我々を侮ってもらっては困るわ。既に身辺の調査は進んでいるのよ」
今度は楽しげに微笑む。くそ。悪魔の笑みだぜ。
「あ…」
「ん?」
鉤爪女の後方で怯えていた戦闘員が口を開いた。得体の知れない畏怖からか声が震えている。
「あなたは一体…誰なんですか…?」
両手を顔の前で合わせ、縮こまった姿勢でそう尋ねる。
「ふふ…怖がることはない、といっても無理かしらね」
バサッと髪を血の付いていない右腕の爪でかき上げながら鉤爪女は
「私は貴女たち帝国軍地上制圧部隊とは違う…特殊4課の者。そう言えば分かってもらえるかしら?」
"ハハン?"と相手を小ばかにした態度で言った。
「!…特殊…?四課…?」
今聞いたことを反芻しつつ目線は目前の女とこちらを行ったり来たりしている。何故俺を見る?
「ま、まさか特殊部隊の中でも強化人間のみで構成された…」
「精鋭揃いの戦闘兵器群。ちゃんと分かるじゃない」
一般兵の答えに強引に乱入する形で鉤爪女が付け加えた。
…強化人間だと?物騒な単語に俺は眉をひそめた。
何らかの戦術形態に向けた改造手術を施されその筋のエキスパートとなるよう更に訓練・調整され、
兵士と言うより兵器と数えられるに至った脅威の軍隊…帝国の情報を洗っている時に目にしたことがあった。
「貴女はこのグズよりは勉強していそうね」
ゴツと二度目のつま先を隊長の死体に当てる。
「四課は強化人間専用で、他にBC兵器とか魔術を扱う所があると聞いたな」
思い出した事をボソッと口にした俺に向かって二人がほぼ同時にこちらに顔を向けた。
「…アナタも博識ね。その通りよ」
全然褒められている気がしない。そもそも先刻まで完全に忘れていた事だ。

―――戦争中でも人道を著しく無視した開発・政策は国連の『ダンテ条約』で禁じられてる。
   たとえ人同士が殺し合う戦であっても『やっちゃいけない』事がある。
   特に無差別殺戮に繋がりかねない細菌兵器や魔術を悪用した呪いなどは全面的に封じている。
   人間を戦闘用に改造する、なんて人権完全無視な行為はとにかくご法度だ。
   それを……奴らトロメア帝国の奴らは影であっさりと破っている。
   大国のお膝元で、影に護られた世界で恐るべき研究が今も進められているのだ。

考えてて虫唾が走ってきた。調べた情報を思い出すだけで反吐が出そうだ。
「禁忌とされた技術の産物が、えらく堂々と正体を明かすじゃないか」
「あら?正体を明かしたとてこの場にいるのは私たち3人だけ。もし誰かがこの場で盗み聞きしてたりしたって…」
そこでおもむろに腕を上げた。日の光に当たってギラリ!と爪が邪悪に輝く。
「"我々"を暴くことは出来ないわ。絶対にね」
そして悪魔の笑み。
「大層な自信だぜネーチャン。だが、傍の女の子が今にも気絶しちまいそうだぜ?」
横目で相手の傍に控える一般兵に目をやる。可哀想に…膝が萎えて足がガクガクいってる。
「そいつも消しちまうのかい?」
何気ない言葉に青髪の一般兵は敏感に反応した。これがトドメになりかねないな…内心後悔した。
「このコは報告の時に要るから連れ帰るだけ。全員皆殺しにされましたー、じゃ無能って罵られてしまうじゃない」
鉤爪女のその言葉に戦闘員の様子がホンの少し和らいだ。どうも殺されるとばかり思っていたらしい。
俺としても意外な返答だが、マメなことだと感心してしまう。そこで、
「"兵器"が怒られるのかよ」
プッと、わざと吹き出しながら皮肉交じりに言ってやった。
「なにぃ?」
ピク、と鉤爪女の眉が釣りあがった。…分かりやすい奴。
「兵器なんざ物だろ?サッサと帰ってご自慢のツメでも整備してもらいなよ。クズ呼ばわりした女の血で錆びるぜ?」
再び戦闘員が不安に駆られる。鉤爪女の顔が見る見る強面になっているからだ。
「そんでもって倉庫でレポートでも書いて出して、ハンガーで寝てろってんだ!」
自分でもあんまりな言い方と自覚しつつ大声で挑発する。何故なら…
「貴様…我等が栄えある特殊部隊四課を、この私を愚弄するかァ!」
一気にカッと熱くなって切り返してきた。
「ああ。馬鹿みたいだぜ。軍に玩具みたいに身体を弄ばれた挙句、こ〜んな雑魚集団に潜伏して俺を狙うなんざ、なぁ?」
「辺鄙な所にわざわざご苦労なこった!何なら今ここで死んだことになってやっても良い!」
「お喋りでコッチもへとへとだぜ!それにここはコーキュトス国境近くなせいか寒いしよ!サムクテシヌゼ!」
調子に乗って次々に駄弁る。俺の得意な長口上だ。
明らかに相手がイライラしてるのが見える。
「おっと、冷血漢にはお似合いのステージだったかな。って失礼!あんた血も涙もない強化人間の戦闘兵器だったな!」
「……ッ!(プチッ)」

お、キレた。

「きっさまぁぁぁーーーーーー!」
般若の如き形相になった鉤爪女が一気に戦闘態勢に切り換えてこちらに跳ぶ。
思うように釣れて少し気を良くしてしまうが、戦闘開始時に気は抜けない。
奴は一度で彼女ら二人と俺との距離(5mほど)を詰めに来た。こちらも迎撃の姿勢をとる。
当然突き出してくるのは両手に携えた長いツメ……って、
「うわっ!」
スパーン!と軍靴で足を払われた。尋常ではない速度で、だ。
モロに尻餅をついてしまう。
続け様に脚で突いてくる。狙いは腹だ。
腕を十字に組んで防ぐ!ドスンと強力な衝撃が両腕を抜いてわき腹に走る。
「ぐふっ…」
思わず噴いた。何という力。訓練生時代の自称「元・ヘビー級チャンピオン」の鬼軍曹のローキックを思い出す。
だが、相手は熊の如き巨体の漢ではない。ほっそりとした痩せ型の体格をした女戦士だ。 「ふふ…馬鹿ね。そう簡単に激昂すると思って?」
余裕の笑みで嘲る。"女"としてのプロポーションを保ちつつも絶大な戦闘力を誇っているようだ。
「ぐぅ…しっかり怒ってたじゃないか」
「ええ。私を侮辱したあなたを許しはしないわ。でも…戦闘は別!」
一度突き出された脚が再びブンと振り回される。むき出しの太ももが何度も視界にチラつく。
ズン。今度は左肘に痛みが走る。綺麗なおみ足が凶器のように牙を向く。
「くっ!」
堪らず跳び上がって後ろに退く。何度も喰らったら骨が逝きそうだ…。
「頑丈ね。普通の相手ならさっきので"ボギッ"って音が聴こえて腕が折れたとわめくのに」
称賛のつもりか?物騒すぎて全然そう感じない。
コロコロと笑う鉤爪女。深緑の長髪がサラサラと揺れる。
「戦いにおいて最も危険なのは感情を抱いて挑むことよ。口と頭が連動してるお馬鹿さんには出来ないでしょうけど…ね」
ふらりと立って体勢を整えて女と正面から相対する。
足場は荒れも程ほどでしっかり踏みしめられる。広さもあるし、フィールドに文句はない。
先に打ち倒した雑魚戦闘員の群れとは距離もある。青い髪の戦闘員は視界の隅っこで木に隠れながらこちらを見ている。
「なるほど。正に戦闘マシーンってか。恐れ入るね」
溜まった唾をベッと脇の空間に吐く…血はまだ混じっていない。
そして拳を強く握り、リングの上で戦う戦士の如くファイティングポーズをとった。無論、真似だ。
相手もポーズをとる。あちらは洗練された感じがする……爪のせいか、その様はまるで"直立する豹"だ。
その時俺はふと気が付いた。
「おっと、おたくの名前を聞いてなかったな」
「突然なによ?女をくどくならあの世で――」
「いやさ。相手の名くらい知ってないと…終わった時に釈然としないモンが残るだろ?」
「フフ、面白い冗談ね。でも、確かにあの世へ行くときに自分を殺した女の名前を知らないのは哀しいことねぇ」
そう悪戯っぽく言うと、瞬時に爪がこちらに走った!
シュッ!風を切り裂く死の刃に、俺は最小限の挙動で対処する。
僅かに上半身をずらす。かすりもせずに爪は視界を横切ってすぐさま引っ込んだ。
足をすって斜に構え直す。相手もすぐに次を放てる姿勢をとる。
「私の名はNo.34…セレンよ」
「――良い名前だ。前に付いてるヘンな番号さえなけりゃ色気があるぜ」
その言葉にセレンがフ、と笑った。刹那、両側から豹の爪が襲い来る!
俺は爪でなくその付け根…彼女自身の腕を掴んだ。グッと堪えて爪で両断されるを防ぐ。
戦闘員の物と(鉤爪を収める"鞘"がある点を除けば)同じガントレットのゴツゴツが手を刺激する。
凄い力だが腕がひしゃげて体を裂かれる程ではない。
しかしこの尋常でない筋力、スピード。強化人間と言うのも頷ける。ポテンシャルが桁違いだ!
「ふっ」と軽く発声しながら敵の左足が垂直に飛ぶ。
顎を狙っている!俺は奴に突っ掛かったまま上体を前に、硬い軍靴の爪先を胸で受けた。

「げふぅ…っ」
衝撃で息が詰まる…先に鉛でも詰めてるのか?やたら硬質的な感触がする。
しかし腕を放すわけには行かない。力も抜けない。我慢するのみ。
セレンは続け様に左足を左へ右へと泳がす。がら空きの懐を容赦なく蹴りで連打する。
流石に厳しい。思い切って右足を向こうの腹に当てる。
ぶつけたり打ったりでなく、ただ"当てる"のだ。
相手も蹴って来る足を絡めてきたが俺は負けじと踏ん張った。
ならばとセレンは上方で膠着状態だった両腕に力を注ぐ。
手が激しく痛む。支える肘が、上腕が哭きそうだ。
「くっ!」
苦痛で声が漏れる。苦しいが我慢を通すしかない!
そのままの体勢で膝を折り腰を地に委ね、渾身の力を全身に籠めて相手を投げに行く。
ジュードーという外来の格闘術の投げ技の一種…『ともえ投げ』だ。
相手の体が宙に浮く。両腕と右足で軽々と持ち上げて見せた。
勢いに乗って頭上に向けて彼女を投げ飛ばした!
ずっと組んでいた相手を放した瞬間の開放感。昔見た試合の"見よう見まね"だが巧く決まったか。
「あっ」と声が聞こえたがやけに遠くに感じた。それだけ遠くへ飛んだか、隠れてる戦闘員の娘のものかも知れない。
…ややあって俺の頭の上(寝ている姿勢だから真上ではあるが空中ではない)でズザァァ、と地を滑る音。
俺も即座に跳ねて起き上がる。
相手を視認せねば――……

ザシュッ!

「え?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
目前にセレンはいた。が、それは俺の思っている「地べたから起き上がろうとしてる姿」ではなく……
「遅いのよ、ノロマ」
爪を繰り出して余裕の笑みを浮かべる凛とした彼女の姿だった。
倒れることなく、着地と同時に跳躍したというのか。
その時、自身の胸部に強烈な違和感を感じ取った。
「あ…」
俺の胸に3つの爪痕…深々と切り裂かれた傷が出来ている。
「今まで貴方が相手取ってきた雑魚どもとは全く違う。その領域すらも。お分かり?ダン=イエーガー?」
血が…俺のジャケットを伝って…落ちていく。俺の両手が血で染まる…。
だが倒れない。この、程度では。
「私を投げたのは驚きよ。ジュードーならあなたにポイントを譲っていたかもね。でも…」

ズ……

「これって、殺し合いなのよね」
棒立ちの俺の右胸に深々と爪が刺さる。1尺超えのそれが、俺に突き刺さって今は3分の2ほどに――
「ぐほぉあっ!」
俺は血反吐をぶち撒けた。セレンがスッと横に避けるが少し足にかかった。
だが彼女は厭な顔一つしない。むしろ満足そうだ。
「なかなかの手錬だったわ。――戦士の血を浴びることは汚らわしくも何ともない…むしろ名誉ね」
そうして、また唇を少しつり上げて、笑う。…悪魔の笑み。
「でも、もう試合は終わり。だって……」
足でドンと傷のある胸を蹴られる。「ぐう」と漏った悲鳴と喉に込み上げる血が口から弾けるように出る。
そして、そのまま力なく地に伏した。
「今の貴方から生気が抜けていくのを肌で感じるんだもの」
そう言い放って自身の手で己の両肩…露出した柔肌を抱く。表情に恍惚としたものが浮かんでいる。
俺は…失血と疲労で力が出ない。気力も保てない。

意識が遠のく。この…程…度で……

―――少し、静かになった。
セレンは右足の裏をダンの胸の上に当てた。
もう反撃どころか立ち上がりそうもないこの戦士の鼓動を確かめるためだ。
トクン・トクン・トクトクン・トク・トクン…心臓はまだ動いている。乱れが激しいが、未だ体は生きている証拠だ。
踵に力を籠める。体から更に血が溢れた。ゲフ、とダンが咳き込む。
その際、唐突に足首を掴まれた。
迂闊。そう感じたセレンだったがダンの手に幾分の力も無いことが容易に読み取れた。
あまりにも弱弱しい…だがセレンはその手を振り払うことはしなかった。足裏で感じる脈が弱まっているのだ。
トクン・・・トク・ン・・・・・・・
「…………」
止まった。同時に足首の手が離れ、パタリと地に落ちた。
「終わったか」
ボソリと呟くセレン。その鉤爪は両方とも血に塗れていた。
「私は並み居る強化人間の中でも"中の下"と評価されている…当然私には不名誉な話よ」
すぐ傍で青い髪の戦闘員が歩み寄ってきている事に気付きつつ、彼女は足元を見下ろしつつ独白する。
「けれど――その私にすらこうも容易く殺られるようでは…到底『実働部隊』には敵わない」
ハァハァという下っ端の荒い息遣いが聴こえる。
「単独で我等に挑む愚かしさを味わってもらえたかしら…ダン=イエーガー?」
タッタッタ…自分の傍に彼女が来た。
「せ、セレン…様。終わったんですか?」
不器用に"様"付けされる。
「ええ。たった今、彼…ダンは死亡したわ」
クルリと踵を返してセレンは部下に敵の死亡を宣告した。
「そ、そうですか!」
パァッと言うほどではないにせよ明るい笑顔を向ける。心底嬉しいんだろうが、コチラに対して未だ恐れがあるようだ。
その様子が少し可笑しかった。
「そんなの恐縮する事は無いわ。さっきまで同じ盤上で共闘してた戦友じゃない」
「そ、そんな!特殊部隊といえば我々の階級に当てはめたら最低でも少尉クラスですよ!」
今更敬語で話し掛けられても気持ち悪いだけだというのに…セレンは正直呆れてしまった。
ちなみに目の前の彼女の階級は一等兵である。直接戦闘に加わっていた連中より一つ分、位が高い。
セレン本人はその階級には興味は無かった。特別扱いは苦手なのだ。
「さて、貴女は力仕事は出来る?」
曇っていた気持ちを切り替え、ニッコリと笑顔を作って目の前の戦闘員に聞いた。
「え?」
「この男の死体を回収するのよ。"後始末"の連中に任せるより良い使い途があるのよ」
はぁ…と相手が生返事する。こちらの意図がサッパリ掴めないで困っているのか。
「それに、少しでも役に立ってくれれば上への報告時に今回の醜態は黙っておいてあげるわ」
「!」
飴と鞭。私はその常套手段に則って彼女を誘う。ただの生き残りでは勿体無い。しっかり働いてもらおう…
「悪い話じゃないでしょう?エネ?」
「!…あ、は、はい!」
初めて名前で呼ばれて彼女――エネは舞い上がった。
この(無能の隊長が率いていた)部隊に潜伏する際、戦闘員の名前は大体覚えていた。
…ここぞという時に「名前」というのは大切なものだと知っているからだ。
「この先の装甲車に戻りましょう。運転は私がやってあげる」
「はい!」
既に自分の従順な部下となったエネにそう伝え、彼女がダンの死体を引っ張りあげるのを待って移動しようとした。
エネが倒れているダンの太い腕を掴み、グイと持ち上げる。
そしてしばらくグイグイと懸命に死体を上げようと試みていたが、やがて諦めたのか、そのまま引きずりだした。
…抱えるのは無理だと判断したのだろう。死体とはいえダンは大男だ。普通の人間であるエネでは背にあずける事も厳しいのか。
セレンは溜め息をついて背を向け歩き出した。
背後でズル…ズル…と不気味な音が聴こえる。どうやら何とか動かせているようだ。
そうして動かぬ元・同僚とクズの山を越え、もうすぐ目的の装甲車の列に辿り着こうかという…

その直前に――

「ひっ!」
エネの悲鳴。瞬時に振り返るセレンの目に意外なものが映った。
その様子に彼女は思わず驚愕した。
「……」
無言の圧力が二人を襲う。
「な、馬鹿な…!」
恐怖に打ち震えるエネ。
「………」
居なくなった筈の、この世を去ったばかりな筈の、ダン=イエーガーが眼前で動き出している!
その眼はまるで生気を感じさせない。
幽鬼の如くゆらりと立ち上がった。
化けて出たか。セレンは再び構える。まだ収めてなかった鉤爪がギラリと光る。
ならば二度と迷わぬよう首を刎ねてやる!そう思ったすぐ後に、
「やってくれたぜ…」
突然頭をブンブン振ってダンが呟いた。
眼が今までの彼のものに戻っている。
「あ…あ…」
エネはさっきからうろたえっぱなしだ。…彼女にとって今日は人生最悪の厄日になりそうだ。
その哀れな様にダンは気が付いたのか、
「ん?どうした嬢ちゃん。顔色が悪いぜ?」
相変わらずの間抜けな調子で話し掛ける。まだふらついてはいるが彼は二本の足で確りと大地を踏みしめている。
「ば、ばば、ばばばばば」
完全に呂律が回っていないエネ。ダンが首を傾げている。
「…化け物め!」
痺れを切らしたセレンが怒鳴る。
得体の知れない相手に怒気を抑えられなかった。
「なっ!化け物とは失敬な!」
「だってそうじゃない!一度死んでまた蘇って、飄々と話し掛けてくるなんて怪物よ!ゾンビよ!」
畳み掛けるように文句を言い続ける。
「死んだぁ?」
大男はこれまたとびきり間の抜けた返し方をする。気が抜けそうだ。
ダンは胸を抑える。無意識のその行動にセレンは視線を釣られた。
…傷が塞がっている!?
異常だった。彼の衣服には全体に渡って血が付着しているが、肝心の傷口付近の血は固まって傷口を覆っている。
「ああ。そう言えば確かに死にそうなほど苦しかったし痛かったな」
ポリポリと頭を掻く。ボサボサの髪だがフケは落ちない。
「けど…」
その言葉と同時にグッと拳を握り戦闘の構えを見せる。
「生憎と、俺はそう易々とは死ねないんだ」
その顔は強い意志の表れ。
「何故なら俺は…」
彼の体は不屈の闘志の具現。
「不死身のスーパーヒーローだからさ!」
大見得をきった男の声は清々しかった。
傍のエネが完璧に凍っている。コーキュトスの吹雪でも浴びたかのようだ。
「なっ!」
なんだこの男は。セレンは困惑した。先程までロクでもない性格だと思っていたが…こいつは極めつけだ。
馬鹿にも程がある!
「ほざけ!」
跳躍して肢体をしならせる。
一対の鉤爪と得意の蹴りで、今度こそ冥府に送ってくれる。
戦闘用に切り替えた頭で決意する。
即座にダンに向けて殺意の刃が襲う。
しかし、
「おっと!」
上下左右。あらゆる角度から目標へ向かう刺突、斬撃がことごとく外れる。
それどころか…「遅いぜ!」などとのたまう始末。
「くっ…!?」
いきなり姿勢が強制的な力によって揺らぐ。…右手首を脇で止められた!
内心でしまったと思う間も無く、手刀で鉤爪を叩き割られる。
バキィン!激しい炸裂音。たった一撃で破壊された。
ガランガランと折れた爪が地面で硬質な衝撃音を響かせた。
「ウソ!」
本音が出た。鉱石と優れた精錬技術で栄えるジュデッカの辺境の鉱山で採れる"超鋼"で造られた爪が破壊されるなど…
自分たち強化人間でも難儀な技だ。…少なくとも、セレンの力では出来ない芸当だった。
それを一度は倒した男がすんなりやって見せた。
到底信じられることではない。が、それは間違いなく目の前で起きたのだ。
「へへっ。割と堅かったな。手が痛いぜ」
またも軽い調子で言ってくれる。少々腫れた右手の甲を空いてる左手で撫でる。
「くそっ!」と叫び力任せに腕を引いて距離をとる。
こちらも右手がヒリヒリと痛む。鉤爪は無惨に折られ、もう使えそうも無い。
「"戦闘中は感情を持ち込まない"じゃなかったかな?」
「また皮肉か!」
「いや、あんたに謝罪したくてね…キミは人間さ。兵器なんて言って悪かったよ」
言葉の最後でダンは真顔になっていた。真剣に、そう言ったのだ。
突然謝られて「は?」と拍子抜けしたセレン。だが戦闘態勢は崩さない。
「だけどそれと闘いとは別だ」
真剣な面持ちのまま、ダンは姿勢を低くする。まるで飛びかかる前の獅子の様に。
「帝国の奴は許さない。一人もな」
凄みのある声を放つ。先程までの彼ではないような印象を受ける。
「だろうな。何せ向かってきた雑魚を全て殺してきたのだからな」
遠くにその死屍累々が並んでいるがそちらに視線をやる暇は無い。
残った左の爪で、確実に仕留める。でないと…
「…?」
セレンは自身の考えに疑問を抱いた。
"でないと…"なんだと言うのだ?どうなるというのだ?
その目は自然と向く気の無かった方へ――自分が雑魚と蔑む者の末路へ移った。
「余所見をしてるとあっという間に倒されちまうぜ?」
「!」
はっとなって視線を戻す。鼓動が早まる。形の良い胸が上下する。
今こいつは何と言った?…倒す?…私を?
そう思いつつ頬を汗が伝う。
戦士とはいえ、たかが人間が?強化人間の自分を?死に損ないの分際で!?
それは彼女にとって大いなる侮辱。クラスが低いとはいえ自身が、特殊4課の一員たる私が!
「貴様のような奴が!」
最速。最高の出力で挑む。
豹が全力で牙を向く!
「……!」
ダンも身構える。
「このセレンを殺せると言うのかァ!!」
残った左の爪から発する光が閃く。目前の身の程知らずの狼藉者を屠らんと疾駆する。

「ああ…俺が―――あんたを討つ」

刹那、獅子が弾けた。

交錯する爪と拳。

傍観しか出来なかったエネも戦慄した。

そして、二人は激しく衝突した。

組み合わさった姿勢で両者が停まる。

風が…コーキュトス国境に連なる山脈から吹く冷気がザァと流れて場を吹き抜けていった。

「……」
「……」
二人は動かない。互いを空恐ろしい目つきで凝視したままじっとしている。
ダンは真っ向から相手を見据え、射殺すほどの目で。セレンは憎しみを凝縮した死の化身のごとき目で。
エネからはどちらも攻撃を受けていると感じた。ダンの背が邪魔で肝心の様子が見えないのだ。
ほぼ同時に放たれた必殺の一撃を…少なくとも、どちらかは喰らっている筈。彼女がそう思った時だった。
「ぐはっ!」
噴き出される声と大量の血。ビチャ、と厭な音が地にぶち撒けられた。
エネは再び身を強張らせる。不安に駆られて下唇を噛む。
…まず揺らいだのはセレンのほうだった。
ダンの拳が貫手の形を成して彼女の胸の谷間を突いていた。
一方セレンの左のツメは…ダンのわき腹を僅かに裂いて止まっている。
両者が互いから離れる。
貫手を引いたダンの手には血が付着していた。抜けた拍子にセレンの胸が小さく揺れ、血を落とす。
ダンは力強く、セレンは覚束無い調子でそれぞれ後退した。
「げぼッ…うっ……!」
激しく咳き込んで血を吐く。胸を、腕と鎧を、太ももを、そして足元までを次々と己が血で汚していく…。
ダンの一撃は彼女の身体を突き破ったのだ。
強化人間として調整されたセレンの肋骨や胸骨を砕き、臓腑から心の臓までを打ち滅ぼす。
やがて、セレンは驚愕に満ちた汗まみれの表情を崩し、奇妙に笑い出した。
「ふ…ふふふ……」
敗北。セレンにとって最大の恥辱。堪え難き事。だが、彼女は笑っている。
深緑の長髪が雑に垂れて表情を隠し、ダンからも相手の顔は半分見られなかった。
(これほどの戦士に逢えた事、少なくとも…それだけはとても尊くて…)
今わの際に、彼女はそう思った。
そして最期に口元でやさしく笑みを作ったまま――前のめりに倒れる。
尻を天に突き出した姿勢で落ちて一旦止まり、横に転んでそれっきり動かなくなった。
「……」
ダンはその結末を静かに看取った後、血の付いた拳を払った。地面に血液が迸る。
それは刀の血を振って払う剣士の様――エネはそう思った。

…ダンがこちらに来る。
エネはそれを、ただ見ていた。
最早抗う手も逃げる術も無い。
目下の強化人間…彼女にとって、その遺体は自分と変わらない年恰好の少女の姿に映った。
曖昧な表情で止まった少女の姿は自分と同じ人間のものに違いなかった。
ダン…彼は言った。"帝国の者は許せない"と。
彼女はダンとその足元の少女の遺体を見比べた。
何の意味もない。癖に等しい行為。
そうしてるうちに死神が眼前に迫った。
意を決して、口を開く。
「…最期に」
「……」
なけなしの勇気を振り絞って訊ねる。
「何故、常に皆殺しなのですか?」
「……」
「どうして我々に単独で挑戦するので―――……」
「…聞きたいのはそうじゃないだろう?」
「…!」
突然反応が返ってきた。息を呑みながら、声を絞り出す。
「……。貴方は何者ですか?」
「―――死神だよ。少なくとも、あんた等にとっては、な」

エネは応えなかった。
アンティノーラは最後の最後まで堂々と戦を挑んできた。
魔術も治療目的以外では使わず、争う時は肉体や武器での戦闘で臨むことを好んだ。
それに対し帝国はあらゆる手段を様々な方面から放ち、辛くも勝利できたのだ。
だが、その戦争の中にこれほどの兵はいなかった筈だ。
少なくとも…もし存在して戦列に加わっていたならば、何らかの形で話題になる。
強化人間ですら持ち得ないかもしれない生命力。尋常ならざる力……
そこで、一つの答えが見つかった。
「まさか…!」
バッと反射的にダンを見る。そこにはこれまでと同じやや締まりの無い顔があった。
「正直、俺もよく分からないのさ。ただお前等は許せねぇ。それだけは真実なんだ」
「そう…」
真の素性は知れない。だが彼が自らの意志で我々を、帝国を討たんとしているのは本当のようだ。
何故だかそれだけで彼女は気が済んだ。
目前のダンが構えを見せる。

直後、体を襲う衝撃と共にエネの意識は彼方へと飛んだ。

…………………………………………………………………………………………………………………………………
◎報告書


13月8日に起きたコーキュトス国境付近での辺境の村の制圧を任せていた部隊が襲撃された事件に関する報告
0720時に別働の調査部隊が現場を発見したことで発覚した本件の被害状況を以下に記す

部隊の隊員24名(指揮官1名を含む)の内23人の死亡を確認。
いずれも外部から何らかの手段により殺傷されたと見ている。
争った跡から見た検証の結果襲撃犯は単身で部隊に挑んだと結論付けられた。
まことに信じ難い話ではあるが他の鑑識にも聞いた所、間違いないとの見解を示した。
装甲車は大型輸送用車両1台及び通常車両4台。いずれも無傷。…ただ、食糧が全て失われていた。
周辺に軍の装甲車以外のタイヤ跡は見られず、男性のものとおぼしき大型の足跡が各地に点々としていた。
このことから、犯人は徒歩で移動したと見ている。なお、大型の足跡は森の中で消えている。

なお、生存者1名は軍専用の病院に搬送。意識こそ無いが、身体的には命に別状無し。 意識の回復次第、詳しい聴取を開始する予定。

我々は今回の事件の犯行は近頃各地で多発している「D」が行ったと見て捜査を進めている。
不幸にも目撃者が得られず正確な犯行時間も犯人の行方の情報も知れない。
…その意味では生き残りの下級戦闘員が本事件において重要な存在となる可能性は高い。
我々は引き続き「D」の動向を探っていきたいが神出鬼没の彼の登場は予測が困難であり、
トロメアが統べる領域の各地で活動している部隊に引き続き警戒を怠らないよう配慮する必要があると――――……


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎個人へのメール

件の視察部隊に非常時に備えて潜伏させていた「No.34 セレン」が"破壊"されていたことに関する追加報告。
前回話した通り、No.34が外部から強い衝撃を加えられた事によって機能停止したのは間違いない。
…が、損傷部分から判断するに、恐らく相手の武器は"素手"か鈍器だったではないかと思われる。
それ以前の戦闘員との戦闘の痕跡から考えると、信じ難い事だが丸腰の相手に敗北した可能性が高い。
この個体が扱っていた超鋼製の鉤爪が"叩き割られて"いることも興味深い。
No.34は他の戦闘員と同じ死亡手続きを済ませた後で研究員が回収する手筈になっている。

……「D」には明らかに秘密がある。現場より採取された彼の物と思われる血痕も今から暴いてみるつもりだ。
No.34の残骸の解剖と生き残り――意図的に残されたかも知れない――からの証言を元に今後の対策を練らねばなるまい。
サカエル中佐の意見も聴きたい。一度研究所のβ棟に足を運んでくれ。

強化人間開発部門担当・ブエル

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俺の名はダン=イエーガー。
アンティノーラの片田舎、辺鄙な農村の生まれだ。
12で戦士族として軍に入隊。
数年を訓練生として過ごし、18の時に戦争に駆り出された。
長い戦争の後、俺たちは祖国を犯された…らしい。
らしい、と言うのは俺がその時に帝国にやられて一度死にかけたからだ。今回の時のように。
だが俺は息を吹き返した。この時も目前にいた初老のジイサン(医者)に怯えられたっけな。
人間の生命力ではあり得ないことだとしきりに叫んでいた。正直自分にゃ何の覚えもないが。
不思議なのは死に瀕する度に力が増していること。

だがいくら自分が強くなったって、死んじまった戦士族や失った軍は救えねぇ。
それどころか祖国上層部は帝国の犬に成り下がってしまった。故郷も、もうどこにも無かった。
自分を化け物扱いしだした病院を抜けて国の中を見て回ったが…得られたのは屈辱と無念の思いばかりだ。
結局、残ったのはこの得体の知れないタフな体だけってわけだ。

行く所も帰る所も無くなってしまった。
家族も友も散り散りに(この世かあの世かも知れない)なった俺は、一人で進む道を選んだ。
帝国を追う。そう決めたんだ。
その為に何度も死にかけ、復活して挑んで敵を倒してきた。
倒した敵は片っ端から殺めていった。非道に非道で返す。当然の事だ。
そうすると奴等はあの鉤爪女のような刺客を付けてきて、また激しい闘いになる。
これからも、その繰り返しが続くのだろう。

今回、俺はいつもとは手を変えてみた。皆殺しでなく、生き残りを作ることで。
奴らが欲しがってるだろう、俺の更なる情報が得られるのだ。奴等は躍起になるに違いない。
きっとあのテこのテを使ってくる筈だ。
…特殊部隊…強化人間の『実働部隊』……結構なことじゃねぇか。挑んでやるよ。
そしていつか、帝国の悪逆をお天道様の元に曝け出してやるんだ。

――俺はダン。不死身のスーパー・ヒーローだ!

     (完)


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