アクアランサー ヒトミ

 深夜。ここはとある山中のダム湖。大都市の生活を支える巨大な水がめである。梅雨に入り、その水面はほぼ満水に達していた。
 水門は遠隔操作であり、ダムの施設は基本的に無人である。だが今、闇夜のダムに怪しげな人影が多数。しかも全員、女である。女であるが、人間ではなかった。
 彼女たちは地底人類。マドーラ帝国の粘土人だ。闇を見通す赤い瞳と鋭敏な長い耳が地底人の証である。みな体に密着した揃いの戦闘服に身を包み、時折「ディー!」と奇声を上げながら慌しく立ち働いている。マドーラ軍団の戦闘員、ドローメである。アリに近い繁殖体系を持つ粘土人の99%は生殖能力を持たないメスだ。1人だけ他と違った格好の女が周囲のドローメに命令を下している。巨大な両手にいかつい爪を生やした女怪人は、選ばれて改造された”粘土獣”の1人である。
 ドローメの1人が女怪人に近付き、右手を斜めに差し上げ「ディー!」と叫んだ。上官に対する敬礼である。

「ケラー様。爆薬の設置が間もなく完了します!」
「急げ。夜が明ける前に何としても決行するのだ」
「ディーッ!」
 勇ましく一声叫ぶと地底軍の女兵士は立ち去った。
 今、このダムには大量の爆薬が仕掛けられていた。それが爆破されれば構造の要点を破壊されたダムは粉々に決壊し、その6億トンという途方も無い蓄えを下流へ一気に放つ事になる。もちろんマドーラは水不足を狙っているわけではない。流域の町や村を人命ごと押し流そうという恐ろしい作戦だ。
 ダムの端から川下を見下ろす粘土獣ケラーの目が赤く光る。安眠を暗く冷たい激流に破られ、溺れ死んで行く人間のようすを想像すると女怪人の胸は高鳴った。
「フフフ、人間どもめ、思い知るがいい…」
 そう言ってほくそえみ粘土獣ケラーが胸の前で爪を交叉させると特殊鋼のぶつかりあう音が冷たく響いた。その時!

 突如、背後の湖からゴーッという音が聞こえてきた。それが荒れ狂う水音であることは想像に難くなかった。戦闘員の「ディーッ!ディーッ!」という悲鳴気味の奇声が轟音に混じっている。
「何だ!?いまごろ水門が開くわけは…」
「ディー!大変です!あれをご覧ください!」
 先刻の女戦闘員がケラーに駆け寄りダム湖を指差す。

 湖面が激しく渦巻き、その中央から巨大な水柱がそそり立っていた。大噴水のてっぺんに小さな人影が一つ。
「なに?!まさか…!!」
 そこに佇んでいたのは1人の少女だった。水色の風変わりなドレスを身に着け、警戒する粘土人の戦闘員たちをキッと見下ろしている。その傍らには身長30センチほどのかわいらしい少女が背中の薄翅をひらめかせて飛んでいる。その姿はいわゆる小妖精そのものだ。

「水の聖戦士、アクアランサーヒトミ参上!」
 凛とした声でそう言い放ち地底人の女性戦闘部隊をビシっと指差す。小さな妖精も負けずに声を張り上げる。
「マドーラ帝国!満水のダムを破壊しようなんてメチャクチャ絶対に許すもんですか!!さあヒトミ、みんなやっつけちゃいなさい!」
 そう言ってヒトミと同じポーズでビシっと指差す。それをジト目でみやるヒトミ。
「…あんたはなにエラそうにしてるのよエレミィ!」
ゴチッ!
「あたっ!?」
 妖精の頭を軽く小突くとヒトミは「とぅっ!」と跳び上がる。同時に水柱が放射状に美しくほぐれ、散乱する飛沫が水面を騒々しく毛羽立てる。少女の体が空中で1回転し、その優美な影が満月に重なるとさざめく飛沫がその周囲にきらめいた。
 敵の只中に降り立つと同時にヒトミは腰の左右に差した得物を抜き放つ。右手にはバトン、そして左手には短剣、いずれも(しろがね)の輝きを放っている。

 宿敵の姿を見て女戦闘員たちも各々武器を構え、周囲をとり囲んだ。先端に三角形の大きな穂先が付いた長い得物は尾部がT字型で全体がスコップに似ており、実際それは掘削具も兼ねていた。地底で暮らす粘土人の武器はたいていが穴掘り道具を起源にしている。もちろんその先端は鋭く砥がれており、攻撃されたら痛いだけでは済まない。
「おのれアクアランサー!またしても我々の邪魔をする気か!ものどもかかれっ!」
『ディーッッ!!』

 怪人の命令一下、大勢の戦闘員が次々に襲いかかって来る。人間に比べると多少ぎこちない風だが、その体が粘土でできているとは思えないほど素早い動きだ。
「ディーッ!」
「ディディーッ!」
 粘土獣と違って改造こそされていないが、もともと粘土人は人間より力が強い。しかも女王によって兵士として産み出されたドローメは、いわば最初から戦闘用に強化されているわけで、たとえ1人でも並の人間には恐ろしい相手だ。それが今、たった一人の少女に向って襲いかかる。
「それーっ!ヒトミっ、負けるなーっ!」
 キャーキャー声を張り上げるエレミィを無視し、身構えるヒトミ。変則の「二刀流」で戦闘員の群れを迎え撃つ。
「マドーラ覚悟!えい!」
 流れる水のように変幻自在なその動きはドローメの攻撃を次々とすり抜け、その隙にヒトミの攻撃が敵の急所を貫いていた。

「ディ、ディーッッ!!」
 1人のドローメが深い胸の谷間を短剣に貫かれて断末魔の悲鳴を上げる。一瞬後、引き抜かれた刀身にはネバネバした体液がべっとりとこびり付いていた。同じ粘液が傷口からもドロリとたれる。女戦闘員は仰向けに倒れると小刻みに体を痙攣させ、やがてその肉体が泥と化して形を失い、戦闘服の中からドロドロと流れ出してゆく。

 粘土人は外見こそ人間に似ているが体の構造は全く違い、戦いにも工夫が必要である。肉体の大部分が粘土質であるため切っても突いても死なない。たとえ手足を切り落としても、それこそ粘土細工のように簡単にくっついてしまい、有効ではない。倒すには生命核を破壊するのが最も効果的だ。ゼラチン質の核は正中線上に3つあり、いずれを傷付けられてもたちまち死んでしまう。1つは頭部、人間で言えば脳に当たる位置。もう1つは胸部中央、ちょうど心臓のようなこの核は直径が20センチほどあり、最も大きく狙いやすいのでヒトミはよくここで敵を仕留めていた。最後の1つは体表から浅い位置にあり、ここも攻めやすいのだが、場所がエッチなので攻撃するのが恥ずかしく、極力さけていた。この核配置は粘土獣も共通である。
「ディーッ!」
 ひときわ高い声を上げ、物凄い勢いでとんぼ返りしながらドローメが跳び込んで来る。四肢の猛烈な回転が生み出す唸りが見る間に近付く。

「え?なに?なに!?キャッ!!」

 あっと思った時には女戦闘員のたくましい太腿がヒトミの首をガッチリと挟んでいた。
「ああっ!なにボンヤリしてんのよ!!」
 上空で戦いを見守っていたエレミィが悲鳴を上げる。
「ディーッ!」
 叫びながらドローメの体が弓なりに反り、その肉感的な下半身が強い力でヒトミの細首を締め上げる。

「アウウウーッッ!!」
 首から側頭にかかる猛烈な圧力に気が遠のく。これでは首が折れるどころか頭を潰されかねない。
「ディーッ!死ねーっっ!」
 渾身の力で両足を締めるドローメが憎しみを込めて叫んだ。
 ヒトミは割れそうに痛い頭を必死に巡らせる。
「(お、落ち着いて!こんなの私の腕力で外せるわけないんだから、こういう時は、慌てず騒がず締めている相手を、仕留める!!)」
 ヒトミは剣を鞘に収め両手でバトンを持つと、その先端を眼前に迫るドローメの局部に力いっぱい突き立てた。

「やーっっ!!」
 気合いと共に戦闘服の股間が破れ、その下の人間女性と変わらぬ亀裂を棒が貫くと、憎悪に満ちた女戦闘員の表情が驚愕のそれに一変する。
「ディイイイイーーーーッッ!!」
 恥部に感じた固く冷たい感触が、そのすぐ奥にある核を刺し貫くとドローメは断末魔の絶叫を張り上げ、死の苦痛に体をビクビクと反らせた。
 第3の核は人間で言うところの膀胱辺りに存在し、局部にある穴がそこまで続いている。これは核排水孔と呼ばれる器官で、その他に消化管の排泄口、つまり肛門が背後に1つ。核排水口はいわば膣口と尿道口を兼ねているので人間女性に比べ穴が1つ少ない。
 棒を引き抜くと破壊された核が内部から勢い良く噴き出し、ヒトミの顔に生暖かいゲルが大量に振りかかる。

「うぷっ!?ぃやっ汚いっ!!」
 ヒトミが思いきり突き飛ばすとドローメの体は力なく地面に転がる。
「ウェッ!オェェッ!」
 核の残骸が少し口に入ってしまったヒトミは慌てて吐き出す。驚いた事に、まるで蜂蜜のように甘く、塩気と酸味を伴っている。口に入れても構わないような味だったが、それがかえって生理的嫌悪を強くヒトミに感じさせた。

「ディ、ディーーーーーッッ!!」

 一方、打ち捨てられたドローメは股間からねばついた体液を撒き散らしながら地面へ無様に転げると、腰を突き上げるように痙攣し、大きなひと吹きを上げたのを最期に動かなくなった。土と化してゆく敵の亡骸を、ぞっとした表情で見るヒトミ。相手が人間とは全く異なる種である事を改めて思い知らされる。
 心配そうなエレミィが右肩に寄って来る。
「ヒトミ、だいじょうぶ?」
「ええ、もう平気よ」
「もぅ、気をつけてね。相手がザコだからって気を抜いちゃダメよ!」
「はいはい」
 憤慨する妖精にヒトミが苦笑する。
「ディーッッ!」「ディィッッ!」
 仲間の無残な最期にドローメたちはいきりたち、再び一斉に襲いかかって来る。生殖能力が無いとはいえ、やはりそこは特別な場所であり、傷付けられれば侮辱と感じるのだ。

 ドローメの武器は大きく、威力がある反面、重いので動きが鈍い。戦闘用スコップが虚しく空を切るたびに悲鳴が上がり、女戦闘員が身をよじって倒れる。

 死の苦しみに痙攣する体がすぐにドロドロと溶け始める。

 数分後、ヒトミの周囲は茶色い泥ですっかりぬかるんでいた。それでもなお大勢のドローメが残っており、怯む事無く突っ込んで来る。
「きゃっ!?」
 粘土人の残骸に足を取られ、派手に転ぶヒトミ。
『ディィッ!!』
 数人のドローメがそこへ同時にスコップを突き立てる。
「あぶないーっっ!!」
 思わず目を覆うエレミィ。

 しかしその先端は固いコンクリートに火花を散らしただけだった。
『ディ!?』
 輪になって見上げるドローメの上空に高く舞い上がったヒトミはダムの縁に軽々と降り立った。不思議な事にドレスは全く汚れていない。水の力によって護られているからだ。幅数十センチの縁は向う側が百メートルを遥かに超える絶壁である。だが少女は漆黒の奈落を背に平然と立っている。小さな妖精はホッと胸を撫で下ろした。
「ディーッ!」
「ディーッ!」

 ドローメたちがヒトミを追って壁際に殺到する。そのうちの何人かが跳び上がってフェンスの上、ヒトミの左右に降り立った。振り回して重心を崩さないように長く重い武器を捨て、両手を威嚇的に構える。指先の鋭い爪は土を掘るためのものだが、もちろん獲物を裂く役にもたつ。
 武器を収めていたのはヒトミも同じだった。しかし彼女の手に武器となる鋭い爪など無い。これは大切な武器を落とさないようにするためだ。以前、敵と戦っている最中に短剣を下水に落としてしまい、ひどい苦労をした事があるのだ。彼女の使う剣と棒はただの武具ではなく水聖の神宝であり、失くしてしまうわけにはいかなかった。
「ディッ!」
 気合いを発し、ヒトミから見て右手の粘土人兵士が仕掛けてきた。ほぼ横一直線に薙がれた爪は、しかししゃがんでかわされ思いっきり空振りに終わった。

「ディッ!?ディディッ、ディディディ…!!」
 勢い余った女戦闘員は大きく体勢を崩し、わたわたと両手を振りまわす。必死ながらも滑稽な敵の姿にヒトミはニヤリと笑い、相手のお尻を軽く一押しした。
「えいっ!」
「ディッ!ディィィィーーーーーーーーッ」
 長い悲鳴が急速に遠ざかり、ドローメは奈落の闇に消えた。
「ディーッ!」
 即座に反対の背後から次のドローメが襲いかかる。今度は鋭い突き。これを胸を反らせて避けると相手のベルトを掴んで後向きに引き倒す。

「ディッ!ディッ!ディーーーーーッッ!!!」
 必死にもがきながら仰向けに落ちて行く女戦闘員。
「ディッ!ディッ!」
「ディディーッ!」

 更に今度は障壁の下から2人のドローメが戦闘用スコップでヒトミを突き落とそうと突っ込んで来た。しかし彼女はいささかも慌てず、軽く跳んでこれをかわす。

『ディーッ!?』
 突進した2人の戦闘員は全力で虚空に武器を突き出し、その勢いで障壁から上半身を大きく乗り出してしまう。その無防備な背中へヒトミの両足が着地する。

『ディーッッ!!』
 落ちそうになり、両足を懸命にバタバタさせる2人の戦闘員。
「それっ!」
『ディイイイイイイイイッッ!!!』

 辛うじて踏み止まっていたが、ヒトミが背中を思いきり踏み切って跳ぶと2人並んで落ちて行った。
「デイイイイーーーーーッッ!!」
「ディーッ、もうダメだーっ!!」
「ディーッ、誰かぁーーーーっっ!!」
「ディーッ、ケラーさまぁーっ!」
『ぎゃああああああああーーーーーっっ!!』
 ビシャッ!グシャッ!グシュン!グシャン!
 落ちた女たちは凄まじい勢いで岩場に激突し、絶叫と共にその肉体はバラバラに砕けた。重力の振るう地面と言う大金鎚で、粘土質だけでなく内部の核まで叩き潰される粘土人。こうなるともう再生もできない。汚らしく飛び散った、ただの土くれである。
 それからもマドーラの女戦闘員が次々と墜落し、谷底を茶色く汚してゆく。堤上では崖っぷちの死闘が続いていた。
「ディーーーッ!!」
 1人が合図すると大勢のドローメが堤頂に飛び乗り、ヒトミの左右にずらりと並ぶ。狭い穴の中に棲息している粘土人は一列に並ぶ習性があり、またそれを独自の戦法にしていた。前の者が倒されると後から新手が次々と休みなく攻撃するのだ。左右から絶え間なく襲いかかるドローメの猛攻。それを素早いパンチやキックで迎え撃つ。速さと正確さはさておき、その威力ははっきり言ってドローメより弱いくらいだが、敵のバランスを崩して下へ突き落とせばよいこの状況では充分に威力を発揮する。
 ドローメたちは頬を張り飛ばされ、あるいは足を払われ、悲鳴を上げながら次から次へと死のダイビングを繰り返す。
「ディーッ!」
「ええいっ!」
「ディッ!」
「このーっ!」
「ディディッ!」
「んもぅ、しつこいっっ!!”ボルテック・ラッシュ”!」
 際限のない攻防に苛立ったヒトミは深く身を屈めると、コマのごとく猛烈に回転しながら片側の列に突進した。

「ディッッ!?」「ディッッ!!」「ディーッッ!?」「ディィッッ!!」…
 竜巻のような攻撃に次々と弾かれ、ドローメが谷底へ落下してゆく。10人以上の列があっという間に一掃される。回転が急速に緩み、バレリーナを思わせる優雅な動きで止まるとヒトミは反対側の列に向き直った。

「さぁ〜今度はそっちよ〜!」
『ディ、ディ〜』
 仲間の末路を見て怖気づいたドローメは先頭から後退る。
「とぅっ!」

 今度は高い跳躍。先刻の渦旋靠(ボルテック・ラッシュ)を見せつけられたばかりのドローメたちは同じ技しか頭になかったので完全に虚を突かれた。列の一番後ろに降り立ったヒトミはバトンを抜き放ち叫んだ。
「”ビーム・エキスパンド”!」
 50センチほどしかなかった棒が一気に10メートルほどにまで伸びる。それだけ長くなっても不思議な事に少しも重みが増していない。
「そ〜れっ!」
ばっち〜ん!

『ディイイイイイイイイイイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!』
 その長竿で壁上に並ぶドローメを谷底に向って一気にはたく。女戦闘員たちは仲間どうしお互いに支えようと虚しく身をくねらせたが、すぐ確実な死に向って仲良く一緒に落ちて行く。やがて奈落の底から鈍く湿った衝撃音が小さく聞こえてきた。エレミィがぶるっと身を震わせる。
「こ、ここから落ちたら絶対に助からないわよね。成仏していい土になってね、ナムナム…」
 谷底へ向って手を合わせる。
「さあ今度はそっちよ!」
 ヒトミはフェンス下に群がるドローメの大群に躍り込んだ。

「”スプラッシュ・ブレード”!」
 そう叫びながら抜き放たれた短剣は先刻と様子が異なっていた。まるで刀身が水でできているかのように揺らめいている。実際には剣の表面を薄い水の膜が覆っているのだ。
「いくわよっ!」
 正面にいたドローメに斬りつける。相手は後ろに退いて避けようとしたが、剣を覆う水が切っ先からほとばしり、それが刃となってドローメの粘土の体を袈裟懸けにする。その切れ味は鋭利の極み、刃が走る豊かな乳房がいささかも揺れない。その奥にある核は真っ二つだ。
「ディウッ!?」
 ドローメはビクリと痙攣して仁王立ちになり、そのままくずおれる。その僅かな間にも更に数人のドローメが変幻自在の水刃に斃されていた。

「ディーーーーッッ!」
 断末魔の絶叫が闇を切り裂くたび地面に黄土の小山ができ、反対に粘土人兵士の数がみるみる減ってゆく。
「それーっ!そこだーっ!やっちゃえーっ!!」
 威勢良く拳を振りまわしながら空中で応援するエレミィ。しかしそれに気付いたドローメが何人か向って来た。
「ディーッ!こいつめっ!」
「キャーッ!ヒトミぃ助けてーっ!!」
 しかし頼みの相手は右に左に休み無く粘土人戦闘員を斬り捨てるのに忙しく、相棒の危機に全く気付かない。
「もぅっ!仕方ないわね、いいわ、かかってらっしゃい!私だってあなたたちみたいな下っ端なんかに負けるもんですか!」

 勇ましく身構える小さな妖精にドローメが次々と襲いかかる。
「ディーッ!」
 それこそ虫をはたき落とすような様子で振り下ろされたスコップを軽々とかわすエレミィ。攻撃は次々と続くがいずれも外れる。
「やーいのろま!どこ狙ってんのよぅ!それっ!」
 エレミィのささやかな反撃。空振りしたドローメの鼻面を小さな細い脚でピンと蹴り上げる。

「ディッ!痛っ!」
「とぅ!」
「あつっ!このチビ!」
 鼻を押さえ、次々に顔をしかめる。指で弾かれた程度の威力なので、たいして傷も付かないがなんとも屈辱的だ。ドローメたちは更に怒りだし、いっそう激しくエレミィを追い回す。
「このォ!」
「コラ待てぇ!」
「ベーだ!掴まえられるもんなら掴まえてみなさいよ!」

 ようやく騒ぎに気付いたヒトミが振り返り、目を丸くする。
「エレミィのやつ、なにやってんのよ!!」
 左右から2人のドローメがエレミィを挟み撃ちにする。
「ディーッ!今度こそ逃がさないぞっ!」
「叩き落してやる!それっ!」
 同時に振り下ろされるスコップ。しかしエレミィは少しも慌てなかった。
「甘いっ!」
 いともたやすく攻撃をかわすと、勢い余った2人のドローメはお互いの頭を思いきり叩いていた。

『ディ〜〜〜〜〜っっ!!』
 間の抜けた悲鳴を上げ、向かい合わせに折り重なってノビる。
「あはははは、バッカで〜、ムギュッ!?」
 調子に乗って後を振り返りながら飛んでいたエレミィは何か弾力のある障害にぶつかった。

「………」
 おそるおそる前に向き直ると意地悪い笑みを浮べたドローメの顔が頭上に迫っていた。エレミィは大きな胸のふくらみに正面から突っ込み、その谷間に深くはまり込んでしまっている。
「ひゃあああっっ!!」
 大慌てで逃げようとするが、手袋をした粘土人のたくましい手が小さな妖精の体を捕まえてしまう。

「フフフ、ついにつかまえたぞ。ナマイキなチビめ、握り潰してやる!」
 獲物を自分の鼻先に寄せて威嚇する。
「キャーッ、ヒトミーッ!!」
 握る力が強まりエレミィが悲鳴を上げた時、
「ゲゥッ!?」
 間近に迫るドローメの目が大きく見開かれ、開いた口から震える舌が覗く。そのまま空ろな表情でくずおれてゆき、掴まれていたエレミィは地面に投げ出される。
「キャアッ!?」
 落ちた時に打ったお尻をさすりながら起き上がる妖精。
「いったーい!何なのよ?もぅ!」
「エレミィのバカっ!危ないからひっこんでなさいよあなたは!」

 倒れたドローメの向うにヒトミが立っていた。その場にいた他のドローメも周囲に横たわり、既に動かなくなっている。
「エヘ、ごめんなさい」

 一方、戦闘が始まってからずっと静観していた粘土獣ケラー。ダム中央の管理所屋上に陣取り、特に命令を出すでもなく好きに戦わせていた彼女だが、その表情に苛立ちの色が次第に濃くなる。考えてみればまだ作戦は途中なのだ。ここで部下が全滅してしまえば残りの作業を彼女1人でやるのか?だがどう考えても人手が足りない上、パワーショベルのような手で爆薬を扱うのは無謀だ。つまり部下を失った時点で作戦失敗は確定。彼女は自分の命で責任をとらねばならない。もとより死を恐れる彼女ではないが、選ばれた戦士として、そのような「不名誉な死」は我慢がならなかった。
「ええい、バカ共め!こうなったら私が!!」

 言うなり力いっぱい跳び上がるケラー。重量感のあるその肉体が高く宙に舞う。大きく描かれる放物線の先にはもちろん奮戦するヒトミの姿がある。
「ヒトミっ!上ーっっ!!」
 叫ぶエレミィ。ゾクリと殺気を感じて頭上を振り仰いだヒトミの目に、迫り来るケラーの恐ろしい姿が映る。
「きゃあっ!!」
 獲物を粉砕すべく振り上げられるケラーの手。
「死ね!!」

 着地と同時に鋼の熊手が叩き付けられる。轟音と振動、砕け散るコンクリート。身に受けていたらヒトミとて無事ではなかったに違いない。しかし彼女は既に大きく跳び離れていた。
 ケラーの猛攻は続く。
「死ねぇぇぇっ!!」
 グローブを巨大化させたような手が唸りを上げて迫る。
「ひゃあっ!」
 辛うじてかわすヒトミ。敵の爪がかすめるだけで空気の凶暴な震えが肌を舐める。ヒトミは思わず縮み上がる。エレミィが叫んだ。
「あんなのが当ったらペチャンコになっちゃうよ!」
「ハハハハ!小娘、土に還してやる!」
 一方的に追われる敵の姿を見て一気に盛り返すマドーラ軍団。
「ディーッ!今だ!一気にかかれっ!!」
 幾人ものドローメがヒトミのゆく手を阻む。

「ここは通さないよ!」
「ちょっ、ちょっ、ちょっとどきなさいよあんたたち!」
「ディーッ!ケラー様の餌食になるがいい!」
 背後から迫る粘土獣の爪!思いきり焦るヒトミ。

「とぁっ!!」
 だが間一髪、ヒトミは上空へ大きく跳んだ。敵の包囲も頭上へはさすがに及ばない。
 標的を失ったケラー。しかし片方だけで重量100キロを超える彼女の鉄腕は容易に止まる事はできない。その脅威は背後にいた手下にそのまま降りかかった。恐怖にすくんだ女たちのすがるような表情が次の瞬間絶望に歪む。

『ディイイイイイイイイイッ!!!』

 生きたまま粉砕される女戦闘員。砕ける肉体の内部から液状になった核が飛散し、ケラーの頬にかかる。それは数秒の間、命の名残にブルブルと震えた後、干上がって消えた。粘土獣は血走った目を見開き、身を震わせ肩をいからせ、バキバキと物凄い音で爪を鳴らす。
「おのれナメたマネを!」
 怒り狂う女怪人の目が憎い敵を追う。相手はケラーの立っていた管理所にフワリと着地し、勝ち誇ったように振り返る。
「へっへーん!あんたみたいにノロくさい粘土獣に、水の化身アクアランサーが掴まえられるもんですか!」
「小娘が生意気な!握り潰してやるわ!」
 ヒトミの態度にケラーは理性を失い、管理所に突進する。しかしヒトミの体は再び軽々と宙に舞う。直後、管理所の建物が一撃で大破する。
「うわあ、これじゃ爆破される前にダムが壊れちゃうかも…よぉし!」
 何を思ったかヒトミは自らドローメの群れに飛び込んだ。
『ディッ!?』
 慌てて身構える戦闘員、しかしそこへ完全にキレたケラーが突っ込んでくる。
「死ねえぇぇぇぇぇ!!」
『ディイイイイイッッ!?』
 敵の注意が逸れた隙にヒトミは跳んで離脱、そして再び同士討ちが繰り返され大量の粘土が辺りに撒き散らされた。
「ヘンだ!なにやってるのよ?あたしはここよ!」

 ドローメたちの間を自在に飛び回るヒトミ、その後を鬼気迫る勢いで粘土獣が追う。もはや手下の姿など全く目に入っていない。
『キャアアア!ケラーさまあああーっっ』
 しかし必死の叫びも虚しくドローメたちは上官の手によって次々と潰され、砕かれ、文字通り土に還ってゆく。ケラーの進路上にいた者はことごとく跳ね飛ばされ、堤外から地獄の底へ真っ逆さま。それはダムの外側だけでなく内側も同様だった。
 派手な水音を立てて次々と湖に落ちたドローメたちが水面で激しくもがく。
「いやあああ!おぼれちゃう!!お、おぼれちゃうーっ!!」
 粘土人は基本的に水より重く、水没してしまう。だがそれだけではない。完全な水中では組織の結合を維持できず、体が水に溶けてしまうのだ。

「だれか助け…」
 ガボッと水をのみ、ドローメの体は水中に消えた。水の中では同じように沈んだ女戦闘員たちが何人も必死にもがいていた。周囲の水がすぐに茶色く濁る。体表から粘土が遊離しているのだ。と、突然、女たちがビクビクと激しく痙攣を始める。

『(ああ、く、苦しいっ…体の中に水が…も、もうダメだーっ!)』
 浸潤した水が核に達すると、ドローメの体は急に焦点を失ったように水中でぼやけた。核が活動を停止して縛めを失った粘土質が一気に泥と化したのだ。あとはただ流れのままに散じ、ひととき貯水を汚す。
 一方、ダムの上でも死闘は終りに近づいていた。

『ディーーーーーーーーーッ!!』
 最後のドローメ数人が折り重なり、苦悶に身をくねらせながら形を失ってゆく。100人ほどもいた女戦闘員部隊もついに全滅したのだ。これでもはや爆破作戦は続行不可能である。
「さあ!あとはもうあなただけよ!観念なさい!」
 言い放つヒトミに闘志を剥き出すケラー。
「おのれぇ!!こうなったらおまえだけでも殺してやる!くらえっ!!」

 怒りに燃える女怪人の手から爪が弾丸のように発射される。ヒトミは辛うじてこれをかわす。長さ数十センチの物体が頭のすぐ脇をかすめた。
「それ!それ!それ!」
 次々と発射される爪がヒトミを襲う。

「ひゃぅっ!!」
「ほぁっ!!」
 怪しい叫び声をあげながら必死に避けるヒトミ。正義のスーパーヒロインにしてはカッコ悪いが、もうなりふり構ってはいられない。彼女とて不死身ではないのだ。
 外れた爪はコンクリートの床や壁に深深と突き刺さり、そこで爆発する。凄まじい威力、だがそれも当らなければ意味の無い事である。
「おのれ、ちょこまかと!!」

 その時…
「ディーッ!」
「わわっ!?」
 泥の中から突然ドローメが起き上がり、ヒトミを背後から羽交い締めにした。

「ま、まだ生き残りがいたの!?」
「仲間の泥にまぎれてやられたフリをしていたのさ!ケラー様、今です!」
「フフフ、よくやった。さぁ覚悟するがいい!」
 鉄の爪の先端がヒトミの胸に据えられる。
「ちょっとあなた正気!?この状況であんなの撃たれたらあなたも死んじゃうのよ!」
「使命のためだ、命はいらない!」
「ウソぉーっっ!?」
 懸命に逃れようとするヒトミ。だがドローメも命がけだ、しかもその腕力は並の人間より強いのだ。
「このままじゃヒトミが、このーっ!ヒトミを放しなさい!エイっ!エイっ!エイっ!」
 見かねたエレミィが飛んで来てドローメの顔を両手でポカポカと叩くが、相手は少し顔をしかめるだけで全くこたえていない。
「くっ、放してよっ!」
「放すものかっ!」
 逃れようと暴れるヒトミをより一層つよく締め上げる女戦闘員。
「死ね!アクアランサー!」
 バシュン!と音を立て、必殺の一撃が発射される。
「マドーラ帝国万歳!」
 死を目前にしてそう叫び、しがみついているドローメが固く目をつぶる。
「わーっ、ク、”クレセント・フィン”!!」

 必死の思いを込めた言葉に水の力が応えた。ヒトミの背中から二筋の水流がほとばしり、鋭利な刃のようにドローメの両腕を上腕の半ば辺りでスッパリと斬り飛ばす。切り口の中心、人間なら骨格の通っている部分から粘りのある体液が吹き出る。
「ギャアッッ!!」
 奔流はそのまま2枚の翼となって留まり左右に広がる。トンボを思わせる、透き通った細く優美なそれが震えると、光の飛沫を僅かに撒きながらヒトミの体は空へと舞い上がった。
 直後、どうすることもできないドローメの胸に巨大な爪が突き刺さる。

「ディーッッ!!ケ、ケラー様ァーっっ!!」
 身をよじるドローメの胸で爆発が起こり、その体が跡形も無く吹き飛ぶ。
「し、しまった!」
「粘土獣覚悟ーっっ!」

 驚いて見上げるケラーの目に映ったのは、両手に武器を構え上空から降下して来るヒトミの姿だった。

「くっ!」
 跳び退くケラーの目前を白刃が直下する。
 着地したヒトミはまるでゴムボールが跳ねる様にケラーへ突進し、矢継ぎ早に斬りつける。重量級のケラーは動きが鈍いが、両手を前に突き出し、嵐のような連続攻撃を落ち着いて防ぐ。硬い物質のぶつかり合う硬質な響きが闇にこだまする。いかな神剣と神棍とて、その固い守りは容易に破れそうに無い。

「(爆礫爪(ばくれきそう)を撃たせないつもりか?バカめ!力ならこちらが圧倒的に上、接近戦は望むところ。一瞬でもスキを見せた時がおまえの死ぬ時だ!)」
 守りに徹しながら必殺の一瞬を虎視眈々と狙う粘土獣。鋭い目が爛々とかがやいている。ヒトミの華奢な体は水によって護られているが、ケラーの豪腕にかかれば簡単に握り潰されそうだ。
 その時、ケラーの爪が一閃し、ヒトミの剣を弾き上げる。
「きゃっ!」
 相手が大きく体勢を崩し、よろめいた瞬間をケラーは見逃さなかった。
「ハハハハハ、これでキサマも最期だ!!」
 左右の腕を大きく広げ、巨大な掌が細身の少女戦士を挟み込む。岩をも砕くその威力はヒトミの肉片をそこらじゅうにばら撒くはずだった。しかし!
ガギン!!
「なにっ!?」
 思いもよらぬ固い手応えに驚くケラー。2つの手は合わさる事無く止められている。その間には水平に構えられた聖棍が割って入っていた。
「今だ!”チェーン・ストリーム”!」
 聖棍の先端から水流がほとばしり、まるで縄のようにケラーの体を縛り、中空へ大の字に磔にした。この姿勢ではもはや防御もできない。

「わぁっ!し、しまった!!」
 手足を必死によじる粘土獣。だがぞっとするほど冷たい縛めはケラーの怪力をもってしてもビクともしない。
 ヒトミの両手に握られているアクラとラムー。そして今、2つの武器が1つに合わされる。
「この星に満つる水の力よ!今こそ聖槍となって我が手に現れよ!」
 聖剣の尾部、つまり柄頭の先端に聖棍の先端が差し込まれる。すると青く澄み切った光が武器から溢れ、それが収まった時、ヒトミの手には1本の巨大な槍が握られていた。その青く透明な穂先は正しく海の輝きをそのまま封じ込めたようだ。”水聖槍デーメル”、これが水の神器本来の姿である。ズシリと重い手応えにヒトミの腰が僅かに落ちる。
「さあいくわよ!水聖の力をその身で思い知りなさい!”ライジング・サーペント”!」
 ヒトミが叫ぶと穂先が青い聖光に輝く。地底人のケラーは目が眩んだ。
「ウ、ウウ…」
 ヒトミはそのまま突進し、粘土獣の胸、双丘の深い谷間に力いっぱい槍を突き立てた。青玉の穂先がその半ばまで進入し、ドローメと異なるガラス質の生命核を貫く。

「ぅわあああああああっアスラ様おゆるしをォォォーーーーーーーーっっ!!」
 四肢を思いきり突っ張って仰け反り、絶叫するケラー。体内の核が断末魔の紅い光に満ち、そして粉々に砕け散る。死の恐怖にひきつった顔の見開かれた目がそのまま光を失ってゆく。
「ああっ!あーーーーーっっ!」
 ケラーの全身が薄茶色に変色する。まるで素焼きの像のような姿だ。ケラーの亡骸は、締め付ける縛めの力によって表面にヒビが入ってゆき、そして粉々に崩れさった。
「やったわね!これでダムは守られたわ!」
 勝利のポーズを決めるヒトミ。大槍をくるくると回して地面に石突を突き立てる。すると僅かに形を残していたダムの管理所が丁度いいタイミングでガラガラと音を立てて崩壊する。それを見て顔をピクピクひきつらせるヒトミ。しかしすぐ気を取りなおすと改めて胸を張り直す。
「いやぁ、まぁ…だいたいは守れたわっ!」
「守れてないわよ!まだ」
「ええっ!?」
 エレミィの緊張した声に慌てるヒトミ。
 その頃、ダム内部の点検用通路で1人のドローメが金属製の箱の前にひざまずき、笑みを浮べていた。彼女こそケラー隊最後の生き残りである。ケラーに状況報告をしていた女だ。

「フフフ、アクアランサーめ、見ていろ、こんなダムめちゃくちゃにしてやる!人間どもめ思い知れ!ケラー様ご安心ください、最後に笑うのは我々です!」
 味方の不利を悟った彼女は最後の反撃に爆薬の設置作業を完成させていたのだ。計画通りの内容ではないが、それでもこのダムに甚大な被害を与える事は間違いない。本来なら遠隔地点から安全に起爆できるはずだったが、緊急の処置で配線状況が変わり、その制約から起爆者である彼女自身も爆心に身を置かねばならなかった。だが彼女の心には僅かの恐れも無い。自分の命と引き換えでも勝利が手に入るのなら、戦うために産み出された彼女たちにとってそれは本望なのだ。
「マドーラ帝国、万歳!!」
 彼女の指が赤いボタンにかかったとき、その胸を背後から青い光が貫いた。

「ウゥッ!!」
 ドローメが見下ろすと、胸のふくらみの間からサファイアの穂先が突き出ている。
「ディーーーーーッッ!!」
 絶叫と同時に女戦闘員の全身は青い光に焼かれ、塵と化して跡形も無く飛び散った。その後に、槍を突き出した格好のままホッと息をつくヒトミの姿があった。傍らにはもちろんエレミィがまとわりついている。
「あぶなかった〜…」
「あとちょっとでも遅れてたら何もかもムダになるとこだったわよう」
 こうして超大型ダムを巡るマドーラ帝国との死闘は終わった。
「いや〜まだ終わってないのよ」
 え?
「なんでよ?マドーラのやつらはみんなやっつけたわ」
「この爆弾どーすんのよ?」
「ええーっっ!?私が片付けるの〜っっ!?後は警察にでも任せようよ〜」
「このまま放っとけるワケないでしょ!何かの拍子に間違って爆発したらどうするのよ!それにマドーラの連中がまたやって来ないとも限らないでしょ!」
 こうして水の聖戦士は徹夜が確定したのだった。
「スーパーヒロインってつらい〜っ!」

おしまい