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女忍狩り

 万次が鼻をヒクヒクとうごめかせる。
「…女の匂いだ…それも大勢」
「来たか…」
 鬱蒼とした森の中を抜ける街道。一見、辺りに人の気配はない。だが二人連れは歩みを止め、周囲に油断なく気を配る。
 一人は若い剣士。女性と見まごう美貌には少年の面影が色濃い。連れの大男は修験者のような格好をしている。少し猫背のせいか実際よりも小柄に見える。
「狙いはアレか?」
「……………」
 万次の問いには答えず、真之介は目を閉じたまま精神を集中している。考え事をするかのように組まれた腕が突然動き、矢のような小太刀が頭上へ飛ぶ。
「う゛ぅっっ!!」
 ガサガサと葉擦れの音がして何かが落ちてくる。だが一つではない。それは桃色の忍装束に身を包んだ女たちだった。手には刀が握られている。その数四。ただし一人は小太刀を突き立てられた胸を朱に染め、既に絶命している。真之介は位置を少し変え、敵を待ち構える。
どしゅっ!

 自分を囲むように三人のくノ一が着地した時、真之介の両手にはそれぞれ血塗られた太刀が握られていた。一拍の間を置いて女たちがドサリと倒れる。

 ほぼ同時に万次の手から放たれた手裏剣が近くの茂みに吸い込まれる。
「ぐぇっっ!?」
 潜んでいたくノ一が苦痛に仰け反る。倒れた敵の手には細長い筒が握られていた。
「吹き矢だっ」
 万次の叫びと同時に真之介の手から二本の太刀が放たれ、茂みに突き刺さる。
「あうっっ!!」
「ぐぅ…!!」
 更に二人のくノ一が倒れる。彼女たちの手にも吹き矢が握られている。

 太刀を投げた直後、真之介が大きく横へ飛ぶ。その後を三本の吹き矢がよぎる。真之介がその出所に突進すると三人のくノ一が立ち上がり、背中の忍刀を抜き放った。この状況で一度外せば吹き矢に二度目はない。だが真之介は太刀を二本とも投げつけてしまっており、手ぶらだ。
「馬鹿め!徒手で向かってくるとは!」
 袖の中に両腕を突っ込んだまま突進して来る真之介を迎え撃つくノ一達。
「きえぇぇぇっっ!!」
どしゅんっ!
「うっっ!!」
 右手のくノ一が胴を両断される。
ガキッ!
「何っ!?」
 同時に左手からの一撃は完全に受け止められる。
キン!
どがっ!
「アウッ!」
 右手を斬り払った太刀で正面からの攻撃を防ぐと、相手の股間に鋭い蹴りを入れる。秘蕾へモロに極められたくノ一は無様に吹っ飛ぶと仰向けに倒れ、蛙のような大股開きで秘所を押さえながら悶え苦しむ。
 どこから現れたのか、まるで魔法のように真之介は再び太刀を両手に握っている。
 自分の一撃を受け止められたくノ一は慌てて間合いを取り、斬られた仲間がくずおれる様を呆然と眺める。
「ど、どうやって刀を!?うっ!…」
 背中に走った鋭い痛みにくノ一が振り返ると万次が刀の血を拭っていた。
「俺を忘れんなよ。ヘヘ…」
 天を仰いだくノ一の目に涙が溢れる。
「お、おのれ…わずか二人に…む、無念…」
 力なく倒れるとくノ一は息絶えた。残る敵は一人である。

 急所の痛みでまだ倒れたまま立つこともできないくノ一に近づき、真之介は刀を突き付ける。
「辰巳の手の者だな?」
「………」
 女忍者は黙って顔を背ける。こうして改めて見ると、まだかなり若い娘である。
「…そうか。その歳で気の毒とは思うが、どの道おまえを生かして帰すわけにはいかない。許せ…」
 真之介が刀を振り上げた時、突如くノ一は顔をこちらに向ける。だがこれを完全に予期していた真之介はあっさりと含み針をかわす。
「くそっ!」
ズシュッ!
 くノ一は跳ね起きると懐からくないを取り出したが、その時には真之介の刃が一閃していた。
「せ、せめて、一太刀…」
 くないを構えたまま女は力尽き倒れた。
 真之介が最後の一人の絶命を確認していると他の亡骸を検分していた万次が嘆いた。
「ああ!どいつもこいつもカワイイ娘じゃねぇかよ!ちくしょう!辰巳秀影の奴、相当なスケベ野郎だぜ!」
「辰巳に仕えるのくノ一集団。確か殺女衆(あやめしゅう)とか言ったか。できれば確証が欲しいところだな…」
 万次は、倒れている死体の一つを仰向けに転がすと、忍装束の胸を一気にはだける。形のよい乳房が大きく揺れた。
「くぅ〜!いい乳してやがるぜ!もったいねぇ…」
「何をしているのだ?」
「…やっぱりな。こいつを見ろよ」
 万次の指差したところを見ると、乳輪の近くに少し大きなほくろがある。よく見るとそれは刺青だった。
「彫り物…何だ?…蓮の葉?」
「惜しいな、桜の花弁だ。殺女衆ってのはいくつかの『組』に分かれている。これはその中の『桜組』に属する証しだ」
 真之介が別の遺骸に手をかけ、衣を剥ぐ。矢を吹くために下ろされた覆面の下には、まだあどけなさの残る娘の顔があった。少し小ぶりのふくらみに同じしるしが彫られている。

「なるほど…」
「赤真二刀流『八手剣』か。いつ見てもホレボレするねぇ!何本も刀を隠し持ってよくあんな動きができるもんだ。俺の出る幕なんてなかったな」
「…こいつら全員、決して並以下の腕じゃなかった…。刀の扱いもずいぶん正統的で普通のくノ一とは違う。きちんと剣術を修めた者の太刀筋だ」
 ほう、と万次は感嘆の声を上げる。
「実は殺女衆ってのはな、もともと傍固め、つまり君主の身辺警護をやってた女武者だったらしい。それが後に暗殺や破壊工作なんかもやるようになったんだ。辰巳には忍衆がいなかったしな…。だから諜報とかは不得手だって話だぜ」
「戦闘集団としての性格が強いわけか…。」
 そう言いながら真之介は倒れているくノ一の身体をあちこち触る。よく引き締まった筋肉にはまだ温もりが残っていた。
「…確かに、己が柔肌を武器にするには少々いかついな。健康的だとは思うが」
「死体に向かって『健康的』とはケッサクだな」
 さもおかしげに万次が笑う。
「こいつらが死体にならなきゃ俺の健康が損なわれるのだから仕方がない」
 事も無げに真之介が言い捨てる。
 急に真顔になると万次は切り出した。
「冗談はそこまでにして、だ」
「ああ」
「これで終わりと思うか?」
「それは例の密書を辰巳がどれほど欲しがっているかによるな…」
「ふむ…」
 むせ返るような血の匂いがたちこめる中、万次は周囲の惨状を見渡す。真之介の剣は凄まじく、彼に斬られたくノ一は全て一太刀で命を絶たれていた。顔をしかめる万次。
「しかしおまえさん、そんな綺麗な顔して女相手に容赦ないね」
「命を賭けた戦いに男も女もあるまい。俺は師匠からそれを嫌と言うほど教えられた」
「それはそうだが…やはり若い女の死に様は惨たらしいよ。見ていて気持ちのいいもんじゃない…」
「俺だって気分がいいわけじゃない」
 相棒のすげない返事に万次は嘆息する。
「そういやおまえ、自分の師匠が女だとか前に言ってたな」
「そうだ。言っとくが腕は俺より上だぞ」
「ほっ!どんな鬼婆ァだか想像もつかんね!」
 その言葉に真之介は笑いをこらえる。
「どうもあんたは師匠と会わせん方が良さそうだ」
 万次は死体を数えてみる。
「ひぃふぅみぃの…十人か…」
「樹上に四人と茂みに六人。下の六人が吹き矢で仕掛け、同時に頭上からの斬り落としで仕留める奇襲だったのだろう」
「吹き矢が先に仕掛けなかったのは何故だ?」
「俺達が連中に気付いて足を止めたからだ。身構えた相手が的では外す可能性がある。その相手が自分達の気配を見抜くほどの使い手ならなおさらだ。吹き矢をこの間合いで外したら終わりだからな。もっとも、相手が吹き矢だと知らなかった俺は、上から仕掛けて来ると思ってそっちを先に叩いたが…」
「その読み違いが皮肉にも連中にとっては仇となったな」
「吹き矢を撃てぬまま四人の味方を失ったからな。焦って飛び降りて来た連中が邪魔になってしまった」
 万次は考え込む。
「う〜む、これが全員でないことは確かだが…」
「考えても仕方がないだろう。先を急ぐだけだ」
「…そうだな」

「…おいおい」
 万次は目を丸くして息を呑む。森を抜け峠道を歩いている二人の向こう側から歩いてくるのは巡礼の女たちだ。二列縦隊の人数は二十名ほどか?
「まさか正面から来るとはなぁ…」
「これが連中本来の殺り方なんだろう。…後にも気をつけろ」
 真之介の言葉に後ろを振り返ると、いつのまにか後からも巡礼が…。女たちは無言のまま左右に分かれると二人を遠巻きに囲んでゆく。
「囲まれちまったぜ」
 二人は背中を合わせて立ち、全方位に対して気を配る。巡礼の輪の中から一人の女が進み出る。笠に隠れて顔は判らないが背の高い女だ。
「巡礼の方々が俺達に何のご用で?」
「…密書を渡してもらおう」
 とぼける万次に応え、よく通る美しい声が、しかし冷たく響く。
「(うぉ、こいつは相当な美人とみたね!)『密書』?何の事だい?さっぱり身に覚えがないが」
 女が杖をこちらに向ける。思わず首をすくめる万次。真之介はもう腕組みをして袖の中の刀に手をかけている。女の声が殺気を帯びる。
「無駄な駆け引きはせぬ。密書を素直に渡せば命は助けよう。断れば斬る…」
「こんな力押しで来るとは、辰巳秀影もあんがい切れない男だな…」
 主君を侮辱され周囲の女たちが色めき立つ。その動きを制し、女は改めて問う。
「…返答は?」
 真之介は女をまっすぐに見据える。何かの気配を感じ、女が一歩下がる。
「悪いがこちらも大金を貰って引き受けたんでな。欲しいなら命と引き換えだ」
 その言葉と同時に女が飛び退り杖を振り上げる。それが合図だった。女たちは着ている衣に手をかけると、どういう仕掛けかそれを外套のように一息で脱ぎ捨てた。白い衣は二人の周囲へ一気に広がり、その視界を遮る。
「くそっ目くらましだっ!」
ずしゅっ!ずばっ!どしゅっ!
 白い布が真紅に染まる。
「殺った!」
 くノ一は二人を二重に取り囲んでいた。内側の輪が攻撃を仕掛け、外側の輪が獲物の逃走を防ぐ陣形だ。
「たった二人で我等に刃向かうなんて馬鹿な連中ね、フフフ」
 外側の輪にいたくノ一の一人が勝利を確信する。と、不意に彼女の視界が白く遮られた。目くらましの白い衣が目の前に落ちてきたのだ。
「!?なんでこんなところに…」
 突如白い視界が真っ二つに切り裂かれ、そこから白刃がひらめく。
「ヒィッ…!!」
ばしゅっっ!!
 身構えるまもなく袈裟懸けに斬られるくノ一。忍装束の前がはだけ、剥き出しの乳房が赤く濡れる。
「なにっ!?」
 万次は間髪を入れずそばにいた二名ほどを斬る。
「あぅっ!!」
「うっっ!!」
 折り重なって倒れるくノ一。桃色の忍装束に赤い染みが広がる。

「目くらましってのは下手をすると諸刃の剣なんだぜ、お嬢さん方!」
 万次は敵の放った布に隠れて包囲攻撃の外へ出たのだ。
「おのれ!一人『二の輪』へ出たわっ!逃がすなっ!」
 その時、恐怖に満ちた悲鳴が『輪』の中央で次々に上がった。
「ヒイィィィィィッ!!」
「ぎゃあああああっ!!」
「ぐぁ…」
 巡礼の白と忍装束の桃色で鮮やかに彩られた大地が次第に赤く染まってゆく。血塗られた大太刀を両手に構えた真之介が、あたかも悪鬼を調伏する仁王の如くその中央に立っていた。既に四・五人のくノ一が倒されている。周りを囲むくノ一が再び斬りかかる。
「えいっ!」
「やあっ!」
 前後からの同時攻撃。後からかかってきたくノ一を刀を持った方の腕で左脇に固め、前からの攻撃を右で受ける。同時に前の敵の腹へ蹴りを入れて退けると、脇で動きを封じたくノ一の胸に右手の太刀を突き立てて止めを刺す。

「あぐぅぅぅ…」
 真之介が刀を抜くと、顔から地面に突っ伏してそのままくノ一は動かなくなる。抜いた刀を大きく振り上げそのまま真後ろへ振り下ろす。
「ひぁ!!」
 背後から忍び寄っていたくノ一はとっさに飛び退るが、恐るべき剣威は一太刀で忍装束を縦一直線に切り裂き、女の白い裸身を白日の下に曝す。張りのある双丘から薄毛に覆われた秘所が露わになる。くノ一の目元にさっと朱が射す。
「あっ!?」
 恥じらいで一瞬動きが止まったのを見逃さず、真之介の切っ先が二つの膨らみの間を鋭く突く。背後に隠れていた仲間も一緒に串刺しにされる。
「ぐぅっ!そ、そんな…」

 二人は重なったまま膝を折り、うつ伏せに倒れる。更に一人のくノ一が斬りかかる。
パキィィィィィン!!
「あうっっ!?」
 真之介の剛刀が一閃すると、くノ一の刀は天高く弾き上げられた。
「ヒィィ!!」
 思わず両手で身体を庇うくノ一をためらわず斬ると、もう片方の太刀を足下に突き立てる。
「ぐぇ!!」
 真之介に蹴られ気絶を装い攻撃の機会をうかがっていたくノ一は、刀を振り上げたところで背中を刺し貫かれ絶命した。
 二本の太刀を大きく振って真之介が周囲を威嚇すると、桃色の輪がさっと広がる。瞬く間に十名以上の仲間を倒されたくノ一達の顔に恐れと焦りが浮かぶ。
「何をしている!!」
 彼女達の気持ちが呑まれかけた時に凛とした声が響いた。
「敵は離れ離れだ!個別に取り囲んで仕留めろ!二人を近づけるな!」
 一人のくノ一が矢継ぎ早に指図を出している。声から察するに攻撃の命令を下した女だろう。真之介が目を細めて相手を見極める。
「(あれがこいつらの頭か)」
 他の女たちと異なり覆面をしておらず、凛々しい顔立ちがはっきりと見える。年の頃は二十代後半であろうか?束ねられた漆黒の髪が引き締まった腰の辺りまで伸びている。背の高く美しい女だ。
「(ありゃあさっきの…へへ、やっぱり美人だったぜ、おっと!!)」
 万次は身軽に攻撃をかわすと刀を鋭く斬り上げる。
「んぐぅぅ…!!」
 胸を切り裂かれたくノ一が仰け反り、口から鮮血を溢れさせて倒れる。しかし数人のくノ一に取り囲まれた万次は苦戦していた。
「『二刀流』は私が殺る!二の手、三の手は援護しろ!残りの者はすみやかにもう一人を殺し、こちらへ加勢せよ!」
「俺は『もう一人』かい。言ってくれるぜ!」
 そう言いながら必死に防戦する万次。
「真さん!なんとかしてくれ!」
 だが真之介はくノ一の隊長をめがけて突進している。
「ダメだこりゃ…うぉう!!」
 万次の鼻先を切っ先がかすめた。
 くノ一の隊長は真之介に呼応するが如く疾走する。真之介の進路上にいるくノ一は素早く身を退き彼と並んで走る。だが真之介はそれに目もくれない。二人が間合いに入る直前、並走する左右のくノ一が真之介に手裏剣を投げる。わき目も振らずにそれを太刀で弾く真之介。その時、隊長の背後に隠れていた二人のくノ一が左右に分かれ、三人同時に真之介に攻撃を仕掛ける。
ギギギギン!!
 五本の太刀が交錯し、激しい金属音が響き渡った。直後に左右のくノ一が飛び退り、隊長は更なる攻撃を加える。その斬撃は極めて鋭く正確で、他のくノ一とは一線を画している。だが真之介は二本の太刀でこれを完璧に退ける。
「くっっ!…強い!!」
 予想以上の剛力に思わず体勢を崩すくノ一。すかさず真之介が必殺の一撃を叩き込もうとした時、周囲の手下が死角を狙う。瞬時に反応した真之介はこれを受け止め、そのまま仕掛けたくノ一を斬ろうとするが、また別の方向から刃が迫る。立て続けの攻撃を微塵のよどみもなく退けていると、体勢を整えた隊長が再び真之介を襲う。無言のまま激しく切り結ぶ二人。だが周りのくノ一にも注意を払いながらで真之介はなかなか攻め切れない。うかうかとしのぎを削っていると即座に背後から鋭い切っ先が忍び寄る。
「(できる…)」
 このまま持久戦になれば真之介の不利は明らかだ。
「フフフ、悠長にしてていいのか?仲間が危ないぞ」
 隊長がニヤリと笑う。
 万次は窮地に立たされていた。立ち木を背にどうにか持ちこたえているが、着物のあちこちがスッパリと裂けている。先刻以来一人の敵も倒していない。それどころか確実に追い詰められている。しかし真之介から万次までは優に二十メートル近くある。この状況で駆けつけるのは至難の技だ。
「くっ!こいつら意外に…!」
 万次の表情には余裕がない。
「(ちくしょう!真之介の野郎が平気で渡り合ってるからこいつらの強さを見誤っちまった!サシの勝負ならともかく、こんなに何人も同時で来られたらさすがにマズいぜ!)」
 万次の方へ寸瞥をくれると真之介は気にも留めぬ風でくノ一の長に向き直る。
「俺の相棒より己の命を心配した方がいい…」
 言うが早いか電光石火で敵の隊長に斬り込む真之介。
「くっっ!!」
 辛うじてこれをかわすが、更に二撃、三撃と攻撃が連なる。
「(万次、この『間』を逃したらおまえは終いだぞ)」
 刹那、ほとんど身体を一回転させるほどの勢いで真之介の太刀が唸る。
「(くそっ!ほんの少しの隙でいいんだ。こんな間合いじゃ俺の『奥の手』が…!!)」
 万次の足元が一瞬滑る。
「しまった!!」
「きええぇぇ!!」
 正面のくノ一が奇声を張り上げて上段に大きく振りかぶる。肩で切り揃えられた黒髪、自分を真っ直ぐに見据えた瞳、覆面に覆われた唇の形、両腕を振り上げているおかげでくっきりと浮き出た胸の形、目の前にいる敵の全てを万次の目は一瞬で克明に捉えた。
「(まるで時間が止まったみてぇだ。俺、死ぬんだな…)」
 と、その時、目の前に迫ったくノ一の胸から刀の切っ先が生え、その目が驚愕に見開かれる。血まみれの切っ先はそのまま万次の顔面に…。
「のわあああああっっ!?」
 万次の肉体は即座に反応していた。背後の幹を踏み切り、倒れ込むくノ一の背中を更に踏み台にして包囲の外へ大きく跳ぶ。
「おのれ…この距離から太刀を投げるとは…」
 くノ一の隊長は唇を噛む。
「何本持っているのか知らないが、そんな援護をどれだけ続ける気だ?」
 既に次の太刀を手にしている真之介は平然と応える。
「もう援護は必要ない…」
「何?」
 着地した万次はすぐ後へ向き直ると、迫り来るくノ一の群れに向けて何かを放った。その白い物は万次の手から次々と矢のように飛び、避ける間もなく敵の股間に次々と張りつく。
「うっ!?何だこれは!?」
 それは一片の紙切れだった。表面には見慣れぬ呪文が書き記されている。
「呪符!?アンッ!!」
 張りついた呪符が女陰の割れ目に食い込む。それと同時に局部から電気のような感覚がくノ一の全身を走った。

「うっ!…か、身体が、動かない…!」
「くっ…そ、そんな…」
 万次を襲っていた五・六人のくノ一は全て身動きがとれなくなった。

「…陰陽符『女陰封縛』!あ、危なかった…。さぁ!今までの借りを返させてもらうぜ!!覚悟しろよっ!!」
 この世を統べる理を知り、その均衡を崩して様々な怪異を起こす秘術、「陰陽術」。その力を札に込め秘文で封じたものが陰陽符である。天変地異すら引き起こす陰陽術の恐ろしさは天下の知るところだが、使える者は真夏の雪の如く珍しい。万次はその一人なのだ。
「ヒ!!」
 万次が猛然と向かってくる。だが必死に動こうとしてもくノ一達の身体は微動だにしない。
ビシュッ!ザウッッ!
「ウッ!!」
「あぅっ!!」
 斬られて絶命したくノ一の術が解け、次々に倒れる。

「おのれ妖術っ!」
 真之介を囲んでいたくノ一の何人かが異変に気付き、万次の方へ向かう。万次は再び呪符を放ち、動けなくなった敵を切り捨てる。
「桜香様!もう一人の敵が…ぐぁ!!」
 万次の存在に気を取られ隊長の名を呼んだくノ一が真之介の刃に散る。敵の動揺を見逃さず、瞬く間に真之介は手近なくノ一数人を倒した。
「!!落ち着け!!陣を乱すな!!」
 だがそういう桜香も万次の接近に気を配らねばならず、戦況を支配し切れない。やがて万次の呪符がくノ一達を襲い始めると敵は総崩れになった。一分ほど後、桜香を含めて敵は十人も残っていない。もはや潮時と桜香は悟った。
「退けっ!!生きて殿にお知らせせよ!」
 隊長を残してくノ一達は一斉に退く。
「そうはいくかよっ!!」
 万次の手裏剣が宙を切り、くノ一の背を次々と貫く。
「ぎゃっ!!」
「げっ!!」
 真之介の投げた太刀が最後の二人を仕留める。
「うぅーっっ!!」
 胸の真ん中から突き出した切っ先を両手で掴んだままうつ伏せに倒れるくノ一。あっと言う間のことで桜香はなす術もない。万次は桜香の背後に回り、彼女の退路を断つ。

「…あんたで最後だぜ…」
 万次の言葉には応えず、桜香は真之介を静かに見つめ、フッと笑いを漏らす。
「…我々が身の程知らずだったと言う訳か?」
 桜香の視線を真正面に受け止め、真之介は小さく首を振る。
「いや…危ないところだった」
「…そうか」
 そう言って桜香の浮かべた微笑は意外にも優しく穏やかだった。しかし彼女は再び表情を引き締め、刀を構える。それを見た万次が懐に手を入れて呪符をまさぐる。
「万次、手出しは無用だ」
 万次は黙って身を退く。
「…桜香、それがおまえの名か…」
「…そうだ」
「覚えておこう。俺の名は川上真之介だ…」
「…御名乗りかたじけない…では川上殿…参る!!」
 二人が動いてから交錯するまで瞬き一つほどの間も無かった。忍である万次の目を持ってしてもその瞬間を捉えることはできなかった。だが彼にはどちらが勝ったか判っていた。

「…お見事…」
 桜香ががっくりと膝を着く。
「…お許しを…秀影…様」
 どさりと倒れる桜香。
「…終わったな」
 万次がほっと肩を落とす。春の暖かな陽射しの中、むせ返るような血の匂いが辺りに立ち込めていった。


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